「やぁ、珍しいね、葵。」
「うん…?周。おはよぅ。」
通常であればはっきりと響く挨拶ですら語尾が怪しい。
朝練にも大分早い時間の教室には矢崎葵ただ一人。これは見慣れた光景だ。この静かで澄んだ空間を彼女は愛しているらしい。
「どうしたのかな、虎のお嫁さんは?」
「見当、ついてるんじゃない。」
彼女の前の席に断りなく座る。僕の席ではないけれど、席の主もいないことだし。ふざけて話しかければ怒るでもなく、苦笑する。全体的に色素の薄い彼女に朝の光に透き通るようなそんな、頼りなさを感じた。
「葵が考え込むとしたら佐伯がらみかな、ってね。」
「私そんなに分かりやすいかなぁ。」
「そんなことないけど。他のことだったら君は成り行きに任せる方針だろう?」
葵は目を見開いて、よく分かってる、と呟く。
「淡白な君が佐伯のことには真面目に思い悩むからね、友人としては嬉しいんだよ。で?佐伯と何かあった?」
んー、と机に突っ伏してしまう。これは拒否じゃない。言いにくいことを相談するとき相手と目を合わせないようにするための。
「私じゃ、駄目なんじゃないかって。もしくは、虎次郎じゃ駄目なんじゃないか、って。」
相槌だけ打って続きを促す。葵が人に相談するのは考え抜いてからだから、安易に笑い飛ばして元気づけるのは意味がない。
「私、束縛ってできないから。」
「あぁ…佐伯の好みの話かい?」
「ん。メールとか、電話とかも、あんまりしようと思えないし。」
「そういえば苦手だったね。」
「好きなら普通そういうことしたくなるはずだ、って。」
「佐伯がそう言ったのかい?」
ふるふる、と首を振る。恋愛トークの好きな女子にでも言われたんだろうね。
じゃあ気にしなければ良いじゃない。とも言えない。確かに僕の幼なじみはそちら側の思考の持ち主だ。
「難しいね…葵は、どうなんだい?」
「どう、って?」
「佐伯と別れても別に良いやって、思う?」
ほんの少し間を空けて顔をあげ、「決まってるでしょ、イ・ヤ。」
「そっか。」
「そうよ。周、ありがとね。」
「役に立ったなら良かったよ、じゃあね。」
「ん。テニス頑張って。ここから、見てるから。」
「どうも。」
きっと二人なら、大丈夫だ。