この壁は何なのだろう。そう、いつも不思議に思っていた。
自分と世界を隔てるソレは薄くほぼ透明で、しかし時折その無機質な顔をのぞかせた。
「壁がね、あるんだよ。」
ふとした瞬間に不可解だろう発言をする私を、彼はどう思っているのだろうか。
「ほぅ、壁か。」
「そう、セロファンみたいな、硝子みたいな。それをなぜ壁だと思うかも分からないの。ただ、それがあるせいで私はなんだか悲しいのよ。」
「そうか。」
何を言っても怒っても泣いても、蓮二はその穏やかな声で受け止めてくれる。それが嬉しくて悲しくて、どうしたら良いか分からなくなるのだ。
この壁が私を守ってくれてもいることを、私は知っている。
理不尽な怒りを向けられたとき、私の頭の処理能力を超える出来事が降ってきたとき。
硬度を増したソレは私と世界の間に立ち塞がる。
「その壁は、お前を守っているのだろう?」
驚いた。どうしてわかるのだろう。もしかしてこの悠然とした態度を崩さないこの男にもソレはあるのだろうか。
「では、なぜそれを疎ましく思う?」
なぜだろう。
その薄い膜は殻なのだろうとも思う。それが壊れてしまえば、砕けてしまうようなことがあったら、私は世界に流れ込んで溶け合ってしまうのではないだろうか。しかし。
自分の気持ちがうまく相手に伝わらないとき。誰かの悲しみを理解してあげられないとき。
薄く頼りないソレがしかし、明確な質量をもって存在することを、思い知らされずにはいられない。
世界から切り離されたような弾き出されたような、不安と違和感。
「ねぇ、」
伸ばそうとした腕を引き戻す。無意識を意識で制御することのなんと大変なこと。
「どうした?」
この穏やかな男は世界に受け入れられている。物理的に触れることで、何かの違いが際立つのではないかと思うと怖かった。
微かな笑い声。やわらかなそれは優しく包み込むように、それでいてじくじくと浸食するかのように響く。
「葵。大丈夫だ。」
顔を上げると、腕を広げて笑う蓮二がいた。おずおずと近づいて、頭を預けた胸からは、とくりとくりと優しい音が流れていた。背中にまわされた長い腕からはぬくもりが伝わる。
「まだ、怖いか?」
ぱきり、と音を立て、私は世界とひとつになった。