露を含んだ木々をかき分け進む。
「秋かねぇ、そろそろ。」
拓けたそこから眼下を見渡せば、そこここが紅に橙に染まりつつある。
数日後に麓から見上げれば、見ごたえがあるに違いない。
例年には、劣るか。
光脈筋が移動してしまったのだろうか、雄大さは残るものの。
「枯れてしまうよねぇ。」
突如響いた柔らかい声に、ギンコはぎょっとする。
水平に視線を滑らせれば、いた。
(ガキ…?)
「蟲師の方、かな?」
「おう。」
十四、五の外見には見合わない、しかしそれでいて違和感のない老成した雰囲気を持つ少女の問いかけに相槌をうつ。
「名前、は?聞いても?」
「…ギンコ。」
「ギンコ?不殺、の?」
不殺?
こちらの怪訝な心情を読み取ったのか、「狩房のお嬢から聞いたのだけれど」と付け足す。
「淡幽か?…別に不殺なんて大層なモン気取っちゃいないけどな。」
「それでも噂になる。珍しいからね、貴方のようなタイプは。」
珍しい。否定はしないがこいつには言われたくない、とギンコは思う。足場の悪い山の中、子供が一人。纏うのも粗末な農民装束ではない。優雅な打ち掛け姿である。そして何より。
「目、見えねぇのか。」
白い布が両目を覆っている。それすら上物で、ますます身分不詳。
「見えない、というのでもないのだよ。…うーん。一般的な"見える"というのとも違うらしいのだけれど。ああ、ギンコ。貴方は知っている筈だ。…うん。見える。」
まさか。いや。
す、と目を閉じる。
見えた。
蟲の世界を、見ているのか。
「あんた、は。」
聞いたことがある。両目を布で覆い、紅色の打ち掛けを羽織った童子。
「葵と、いうよ。ご存知、かな?」
「蟲遣い、」
ザワリ。
空気が変わった。鳥肌がたつ。まずかったのだろうか、だとしたら、何が?
慌てて目を開き、更に見開いた。
「遣っているのではない。そういった言い方をすると、嫌がる。」
無数の。淡く明るく。
"蟲"が。
葵を取り巻くように、ギンコを威嚇するように、溢れていた。
「嘘だろ…。」
自らが蟲を呼び寄せる体質であるがゆえ、この量の蟲が珍しいわけではない。ただ、あり得ないのだ。光脈筋はおろか、蟲の気配など本当に、僅かな山で。だからこそギンコはそれを異変と判断し、打つ手があればと登ってきたのだから。
「ん?ああ、違うか。蟲避けかな?それ。仕舞ってくれるかな。そうすれば多分、彼等も落ち着く。」
「や、こっちも色々あってな。さっきまでならともかく、こんだけ蟲がいたら必要なんだ、コレは。」
「うん?蟲を呼び寄せる体質のことだったら心配いらないよ?」
私がいるから。
唇はそう動いたが、ギンコの耳に葵の声は届かなかった。
(興奮しているのか…?)
今まで見たことがないほどに激しく騒がしく、蟲たちが蠢いている。かすかな音が集まり渦となり、葵の声をさらっていったのだ。
仕方ない、か。
はっきり言って訳が分からない。ならばこの少女の言う通りにしてみるのも一つの手だろう。煙草を揉み消せば成る程確かに、蟲は動きを緩めた。
「どういうことなんだ、一体。」
「さぁ、ね。難しい理屈は分からないよ、私には。しかしまぁ、私は蟲に好かれる性質らしい。貴方のように呼び寄せるというのとも違うらしい、ね。」
好かれる?
その目は生まれつきかと問えば、是と答えた。ならば。
葵というこの少女は、ほとんど蟲ではないのか。
「ああ、そうだ。」
「何だよ。」
ぽん、と胸の前で手を合わせた彼女に何だか警戒心も解されて、ややなげやりに反応する。
「一番大切なことを忘れるところだった。ね、ギンコ。ちょっと付き合ってくれるかな。」
何を、とは言わなかった。ギンコにしたっておおよその見当すらつかなかった。
それでも。
「…そうだな。」
この時の返答を、後悔することはなかった。