彼、鉢屋三郎には想い人がいる。
休日になんとなくこの茶屋に立ち寄るのも彼女、矢崎葵を一目見る為だと言ったら学友たちはどんな顔をするだろう。
「こんにちは。」
「いらっしゃいませ!あら、お久しぶりですね、鉢屋さま。」
「なかなか休みがとれなくてね。」
「精が出ますね、いつものでよろしゅうございます?」
看板娘である彼女は惚れた弱みを差し引いても美しい。
だから彼女を、忍術学園と関わらせるわけにはいかない。
忍には危険がつきまとう。近しい者にとっても同じこと。
いくら彼女が自分に向ける眼差しが、自分が彼女に向けるものと同じ色を帯びてきたといえども、この誓いを破れはしない。
はずだったのに。
「次の授業なんだっけ?」
「変装だったはずだよ。私の得意な、ね。」
「もう。いつになったら僕の顔やめるのさ。」
雷蔵には悪いが素顔をさらすのは葵に会いに、町に出るときだけと決めている。
これはちょっとした独占欲を満たすためと…彼女に会う"私"を忍術学園の"鉢屋三郎"から切り離すため。
「三郎っ!すぐに来いっ!」
「へ?うわ、ちょっと何…?」
いつになく慌てた様子の兵助に引っ張られる。突然のことに三郎はなすがまま、雷蔵と竹谷も後を追う。
「どーしたんだよ兵助」
「三郎に、用があるって…」
「私に?」
生憎と訪ねてくるような知り合いはいないはずだが。
門の手前までくると兵助は三郎を離し、方向転換する。
「俺は善法寺先輩探すから。」
保健委員長?全く話の展開が見えてこない。
「三郎の知り合い…?」
「興味あるな。」
雷蔵と竹谷が門の外を覗いた、と思った途端に二人は血相を変えて三郎を引っ張る。
「ちょっと、三郎っ!」
「なんだってんだ全く…」
二人の後ろから顔を出す。
「なっ!?」
そこにいたのは小松田に支えられた血濡れの少女。自分の目を疑っても事実は変わらない。矢崎葵だ。
彼女は三郎の姿を認めると微笑み、鉢屋さま、と呟いた。
「なんで、」
何故ここにいるのだ、いや私は彼女に素顔しか見せていない。何故雷蔵の顔をかりた私が分かる?
くせ者かとも疑うが変装の雰囲気は感じない。何よりも私が彼女の真偽を見分けられないはずがない。
疑問が駆け回るもただならぬ様子の彼女に腕を伸ばす。
彼女もまた三郎に歩み寄ろうてして…くずおれる体を辛うじて抱きとめれば頬に手を当てられた。
「良かった。鉢、屋さ、ま。ご無事で…」
「どうしたの、何があった?」
濃い血の匂いに怪我が軽くないことを知り、刺激しないように静かに問う。
名も知らぬ数多の感情を無理やり抑えつけ、返答を待つ。
「…の、お城の方…鉢屋さま…ないと、言っ…」
後ろに立つ二人と小松田には聞こえなかったようだが、三郎は耳元で告げられた内容を反芻する。
実習で戦った残党が自分を狙っている。そいつらが"鉢屋さま"の話をしていた葵に目をつけたらしい。
「三郎…?」
様子がおかしい友人に雷蔵が声をかける。
「雷蔵。この子を、先輩に。頼む。」
壊れもののように渡された娘は気を失っており。
「許さん…!」
ギリ、と唇を噛み締めたその姿に絶句する。
飄々としたこの友人がここまで感情を露わにしたことはなかったはずだ。
「三郎っ!?」
竹谷の呼び声も虚しく、走り去ってしまった。