僕の友人、矢崎葵が保健室の常連であると気づいたのはいつだったろうか。
「善法寺くん。私は少し空けますから、後をお願いしますね。」
「分かりました、新野先生。」
とは言っても時刻は遅い。これから保健室を訪れるのは罠にかかった保健委員くらいだろう。自主練で無茶をする級友たちは、無理やり連れてこない限り手当てなぞしようとはしないから。
せっせと薬を煎じていれば、微かに人の気配がした。
「あぁ、伊作。」
「おかえり。…珍しいね、大きな怪我は。」
「こんなの大きい内には入らないっしょ。薬借りるぞ。」
「僕がやるよ。」
「…ありがと。」
服をはだけさせ一通り診る。左腕に切り傷。ざっくりとまではいかないまでも、かすり傷とは言えない。
優秀な彼のこと、普通なら怪我なんてする訳がないのに。
事実、授業で彼が怪我をしたなんて見たことも聞いたこともない。それでも時々、夜遅くや朝早く結構な数の擦り傷切り傷を作ってくるのだ。
それにしても、
「珍しいね。」
「まだ言うか。」
「怪我じゃなくて。…気づいてもいなかったんだ。切り替えられてないよ。」
「は?…あぁ。」
気配が薄い。学園では気配を消す必要なんてないのに。だからこれは、彼が何らかの仕事をして、更にまだそれを引きずっているということ。
小さな怪我でも葵はきちんと保健室を訪れて治療をする。そんな時の彼はいつも、どこかしらおかしいのだ。儚げだったり、沈んでいたり。
「葵。あんまり無理しないでね?」
「大丈夫、分かってる。」
理由は分からない。
日の下に出せるようなことをしているとは思えないけど、彼がほとんど大怪我はしないということは実力に見合った仕事を選んでいるという証拠で。
そこまで葵が考えてしていることならば僕は黙るしかないのだけれど。
同い年の割に大人びたこの友人がいつか壊れてしまいやしないかと内心気が気でない。
「伊作。」
「なぁに?」
「ごめんな。ありがとう。」
心配をかけて。心配してくれて。
どこまで彼は他人の心の機微に聡いのか。
だからこそ、それが余計な仇となるだろうに。きっと彼は誰かを傷つけて、その分自分も傷ついて、ここにいるのだろう。
"伊作。葵くんが来たときはなるべく自分でさせずに手当てをしておあげ。お前の手なら彼の心も癒やしてやれるだろうよ。"
その通りであることを願います、先輩。
「伊作の手は暖かいなぁ。」
「葵は冷え性だからね。」
そんな寂しい声を出さないで。僕も君も、ちゃんと生きているから。君が傷ついたときは僕たちがいるから。
「善法寺くん、ありがとうございました。矢崎くん、大丈夫ですか?」
「新野先生お帰りなさい。葵、終わったよ。」
「ありがと。僕なら大丈夫ですよ、新野先生。」
ご心配をおかけします、と頭を下げた彼に無事なら良いんですよと新野先生。
「じゃあ僕はこれで。おやすみなさい。」
「えぇ、おやすみなさい。」
「葵、寝るんならお風呂に入りなよ?穴掘りでもしてきたみたい。」
僕の言葉に自分の足についた泥を見て、曖昧に笑った彼の顔が強く印象的だった。