鍛錬を終えて長屋に帰ろうとしたとき、葵の姿を見つけた。
東の空が白んでいるこの時刻に。
ぼんやりとしていて、こちらに気づいているのかいないのか。これほど無防備な葵は初めて見る。
何か。何かを言うべきだということは分かっているのに。妙なプライドが邪魔をする。
「文次郎?」
「…おう。」
単語すら出てこない自分に嫌気がさす。
「私な。…私、もう耐えられん。」
…は?意味が分からない。いやそれよりも、何故そんな顔をする?
「どういう、ことだ?」
「頭では、分かってるんだ。文次郎がこういう浮かれたこと苦手なのも、いつもどうにかしようと思ってくれてるのも、理解しているはずなんだ。…さっきだって、声をかけようとしてくれてたろ?」
「そ、んなんじゃねーよ!」
ああ何でこんな言葉しか出てこない!?
そんな悲しそうに、笑うなよ。俺がそうさせているのに、何て無責任な。
「でも、な。そのもう一歩を、待つのが疲れてしまったんだ。文次郎も、限界だろう?…私達は、忍びに向いているんだ。」
だから色恋なんぞ似合わんのだよ。そう言って無理やり笑顔を作る。
「んな、突然…」
「ごめ、ごめん、な。昨日、一緒に居られたら、もう少し頑張ってみようと決めてたんだ。」
「勝手に、そんなこと…」
「ごめん。大好きだ、文次郎。これからもずっと、良い競争相手でいような。」
それだけ言い切って走り去ってしまった。
競争相手。
優秀な忍びになるため。そのために組んだ鍛錬メニューに着いてこれるのは葵だけだった。女のくせにと馬鹿に出来たのはいつまでだったろうか。
性別が作るハンデをどうにか乗り越えようと彼女がした努力は己のそれを上回っていた。
必死になって鍛錬をこなす葵を見たとき、素直に尊敬すると共に心底惚れていた。
「シリアスに回想なんぞしている場合か、馬鹿文次。」
「もうっ、いい加減にしなよね!」
「なっ!」
振り返った先には仙蔵に伊作に留三郎。
突っ込みを入れた二人に対して。
「何睨んでやがる。」
「べっつにー?ただ、あんまり葵がかわいそうだから、これだけは教えといてやるよ。」
お前なんかに教えてもらう筋合いなんぞ、と言うつもりだった言葉は飲み込まれた。
普段の喧嘩のときとは段違いに険しい目に押されたとは認めたくないが。
「昨日。何の日か知らないんだろ?」
「お前には関係「あいつの!」」
「矢崎葵の、誕生日だとよ。」
頑張れよー、などと間の抜けた声は無視して、体は葵を見つけるべく動いていた。
朝日だ。いつだったか、全てを照らす光が好きだと言っていた。忍びにはふさわしくないな、とも。
「一番朝日が良く見えるのは…あの丘か。」
「葵っ!」
「文、次郎…?すまない、もう少ししたらちゃんと戻るから。授業にも、」
涙を流す葵が愛おしくて、思わず腕に閉じ込めた。恥ずかしいなんて言っている場合じゃない。
「悪かった。その…不安にさせて。いつでも笑って待っていてくれるから、大丈夫なんだと思っていたんだ。」
「…私も、女だったんだな。文次郎が来てくれると嬉しくて。でもいなくなった途端寂しくて、つらかった。」
「あんな、ちゃんと好き、だから。…愛してる。」
「不器用すぎたな、私たち。」
「一人前になりたくて必死だったからな。」
「今も、だろう?」
「これからは二人で頑張ろうな。」
仙蔵たちにはからかわれるだろうが、そんなことよりこの存在の方が重要だ。
「大丈夫だよ、文次郎。からかうような阿呆どもは鍛錬に巻き込んでしまえば良い。」
「だな。」