墮天の刻
「胸が苦しくなるとか、締め付けられるようだとか、言うでしょ。」
本来レントゲン写真が貼り付けられるべき光る壁を背に机に腰かけて、男は笑う。
「なんでだと思う?」
答えられない。言葉が出ない。何より本能が告げていた。この男と関わってはならない。
言葉を交わしたが最後、呑み込まれる―――。
なのに。頭に響く警鐘など構いもせずに口が動く。
「心が、あるからでしょうか。」
心?楽しそうに奴は笑う。幼子のように、愉しそうに。
「うふふ。そんなステキな回答は予想していなかったなぁ。」
「じゃあ…貴方はどう考えるんです?」
そうだねぇ、と呟いて瞬きの間に距離を詰めた。膝に手を置いて身を屈める。診察用の小さな回転イスに座った私と、丁度、視線が。
「胸には心臓がある。これが生命にとってどんなに大切なものか、みぃんな知ってる。そうだろ?その重要な器官に痛みを覚えるということはだよ、君。それはつまり、命に関わるということだ。」
深い、深い色の瞳に魅せられたように、意識が曖昧になってくる。
どうして、なぜ、自分は言葉を返してしまうのだろう。
「それは、だって恋愛は種の存続に関わる、」
どこか言い訳じみた発言は、彼の怒声で中断された。思わぬ突然の大声に体が跳ねる。
何と言ったのだろう。私が意味を解するには数秒を要した。チガウ。違う、と。そう言ったのか。
「ねぇ×××。恋をするというのは、死ぬということだよ。」
底知れない笑顔。怖い。恐い。こわい…。
死人の如き蒼白の繊手が伸びてくる。首筋に宛がわれたそれは驚くほど、冷たい。
「さぁ、レンアイを、始めよう…?」
(光は絶たれた。)
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