信じる、というのはイコール赦す、ということだと思う。一方的にその人を信じるというのなら、例えその人が予想外の行動をとろうとも「裏切った」「信じていたのに」なんて言うのは筋違いも良いところ。

もし相手から「信じて」と乞われて了承したならばそれはもはやれっきとした約束であるから、それを裏切られたと言うのは構わないのじゃなかろうか。

個人的にはそれでも、了承した時点で自己責任だと思うけれど。

その人を信じるというのは、その人を受け入れるということでもあるかもしれない。

その人の決定が行動が、気に入らなくとも己に不利益であろうとも、受け入れる。

そうか、この人はこういう考え方をするのかと納得するのが筋であって、「想像と違う」「こんな人だとは思わなかった」と憤慨するのはあまりにも勝手だ。

「こんな人」と自分が知らなかっただけで、その人はきっと長いことそんな人であったのだろうから。

だから信じる信じないなんて好きにすれば良い。信じられる人がいないってのも完全に個人的な問題だし。ただそれらを他人に押し付けたりするのは傍若無人な振る舞いだというだけ。

理想はあくまで自分のものであって、対象に責任はない。自分の理想をふっかけて幻滅してもただの一人芝居であるから、慰めてもらう価値はない。

そんなところは少し、恋愛に似ているかもしれない。

そして信じることが赦すことであり受け入れることであるなら私は全人類を信じていることになる。

騙されやすいのも道理だ。



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