存在はずっと知っていた。
本を読んだ。
言葉を聞いた。
そして今月、直に講演会に参加させて頂いた。
強い、人だと思う。先生の言葉に幾人が救われたろう。幾人が先生の元に救いを求めているのだろう。
傷ついた人間の言葉を聞いて、自身が引きずられることなく上っ面だけでなく励ましてやれる大人が他に何人いるだろう。
だから、怖い。先生の体は今決して健康ではない。ガンの進行を最先端医療でどうにか食い止めている状態だそうだ。
医師が驚くくらい、今先生が生きているのは奇跡なのだそうだ。
だから、というのもあるけれど、それがなくても先生はもうお若くはない。人間である以上寿命があるだろう。
あの敬愛すべき先生が姿を消す日がくることが、決して。決して非現実的なことではないということだ。
もちろん言葉は残る。活字として、映像として、水谷チルドレンの存在として、先生のメッセージは消えないだろう。
けれど先生の存在それ自体が、数多の人間の心の支えとなっているはずだ。いつか、来るべき日がきたとき彼らはどうするのだろう。
あんなにわかりやすい形で他人を救える人間が他にいるだろうか。あんなに多くの人間に存在を支持されている人間がいるだろうか。それも、とても強く。
私自身は昼間の住人だ。先生にお世話になったこともなる予定もない。けれど人間として先生に憧れて、先生の役に立ちたいと何度も思った。しかしそのたび、先生の言葉に打ちのめされるんだ。
幸せに生きてきたからこそ、私にあの強さはない。
私が他人を支える人間になりたいと願うのはすなわち、そうすることで自分の存在を肯定して欲しいからだ。そんなのはただの自己満足であって、先生や子どもたちが必要とするものではないのだろう。
強くなりたい。
先生の生き方はそれは素晴らしいけど私は多分、違う生き方で何らかの役に立っていくべきだということだろうか。
先生の存在は昼間の住人たちにも力を与えてくれる。
だからどうか、出来るだけ長く私たちの前に姿を現し続けて欲しいと思う。