どこからともなく現れた腕が控えめに私の体を支える。耳鳴りの中で聞こえた声にすがるように、私は小さく首を横に振った。声の主は、今度はしっかり私の体に腕を回して体を凭れさせてくれた。見ず知らずの男性に身を委ねてしまっている格好になるわけだが、そんなことに頭が回るほどの正気は持ち合わせていなかった。


「み────、だけ──がわかる?」

男性が何か私に話しかけている。それはわかった。しかしひどくなる一方の耳鳴りのせいでよく聞こえない。応えられる状態でもない。


「大丈──よ、今ホームに入っ────」

電車が減速している。ホームに入ったのだ。私は胸の辺りを押さえて必死に耐えた。今にも膝を付いてしまいそうだ。可能な限りゆっくり呼吸をする。しかし体が震えてそれすらままならない。

シューッと大きな音がして、電車が完全に停止した。ドアが開き、人の波が動く気配がする。男性は私を支えたまま歩き始める。私は視力がほとんど機能していなかった。瞼を開けているはずなのに目の前が真っ暗なのだ。自分が今どこを歩いているのかさえ分からない。

やがて男性の歩みが止まり、私は椅子に座らされた。


(ホームの椅子かな、)

私は心から安堵した。ああ、倒れなかった、よかった。よかった。


「今、水を買ってくるから」

男性は短くそう言って気配を消した。耳鳴りが治まってきたおかげでその言葉はしっかり聞こえた。だけれどまだ、水の中にいるみたいだ。雑踏が、遠い。


(すみません、ありがとうございます)

そう伝えたいが声が出ない。本当に、感謝してもしきれない。私のために目的地でもない駅で下車させてしまった、水を買いに走らせてしまった。苦しいやら情けないやらありがたいやらで泣けてくる。

一分もしない内に男性は戻ってきて、ペットボトルのキャップまで開けて渡してくれた。


「ありがとうございます……」

掠れた酷いものだったがなんとか声が出た。ごくごくと水を飲んで、それから何度も何度も深呼吸をする。震えがやっと止まった。視界も徐々に開けてくる。波は去ったようだ。もう少し休めば、一人で歩けるようになるだろう。

横に座って様子を見守ってくれている男性の方に体を向けて、私はこれ以上ないくらいに深々と頭を下げた。

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