「朝から調子悪そうだけど、霧野先輩となにかあったんでしょ」
信助くんの言葉があまりに的を射ていたものだから、もうおれは一言だって反論できなくなってしまう。黙って手の中にあるジュースのパックを弄り続けるおれに、信助くんはやっぱりと呆れてみせた。長年の付き合いだけあって、さすがおれのことに関しては目ざといと思う。
「……別に、なんでもない」
「狩屋ってさ、すっごくわかりやすいよね、都合が悪いときは瞬きの回数が増えるって自分でもわかってる?」
「そ、そんなの知らねえよ!」
「あはは、また増えた」

霧野先輩は、ひどい人だ。おれの気持ちを隅々まで知り得ているくせに、向き合おうとも逃げ出そうともしないから、ひどい人だ。付かず離れずの曖昧なこの距離はじれったくて、拒絶されるよりもずっとおれを苛む。おれは先輩がいないとダメだけど、きっと先輩はそうじゃない。それが悔しくてたまらない。おれに依存する先輩がどうしても欲しかった。中学、高校とあんたの背中を追いながら過ごした日々を思えば、大学も一緒のところを選ぶのは当然だった。なのに、朝の先輩がまるでおれを遠ざけるような物言いをするから、だからもうこの憧れの行きつく先はほとんど決まっている気がしてしまう。

「いいよ、なにも言わなくて、狩屋には狩屋の考えがちゃんと用意されてるんだろうし」
けして他人には触れられたくない大事な部分には踏み込まない、信助くんのこういうところが数少ないこころを許せる友人としてとても好ましかった。
「気晴らしならぼくも付き合ってあげるよ?」
「……ん……、ありがと」
「久しぶりにさ、輝と天馬と剣城も呼んでみんなで集まろうよ、本格的に受験が始まっちゃったらなかなか会えないもんね」
そう言えば、あの三人とは去年の暮れに一度顔をあわせてそれっきりになっていた。影山は私立に、天馬くんと剣城くんは一緒にここからちょっと離れた隣町の公立に通っている。学校は別になったけれど、やっぱりこの五人組でないとしっくりこないあたり、おれも随分丸くなってしまったと思う。返事を聞かなくてもそこらへんはちゃんとわかってくれているのか、信助くんが「放課後迎えに来るからね」と笑った。妙に居心地が悪くなって、パックにさしてあるストローをちびちびと噛んでいく。それこそ本来の用途を見失うくらいまで。

フードコートはそれなりに人がいて賑やかだ。席について単語帳を読み耽っていた影山はおれたちの姿を見るなり瞳をきらきらさせて、なんと大きく手を振ってみせた。心なしか周りの視線が痛い。こいつらと一緒にいるといつもこうだ。
「か、影山、恥ずかしいからやめろって」
「はい!久しぶりです狩屋くん、信助くんも!」
「輝は全然変わらないね〜」
中学の頃からほとんど変化していない体つきの信助くんが言うには、なかなか違和感のある言葉だった。影山の隣に腰をおろした信助くんと向かいあわせに座る。やっと重たいトレイを置くことができて、腕が喜んでいる。
「あれ、天馬くんと剣城くんはまだなんだ」
せわしなく目を動かしていた影山が、入り口のほうを向いた瞬間また立ち上がってさっきよりも大きく手を振った。それに負けないくらい力強く応えるのは、やっぱり天馬くんだった。急いで走ってくる天馬くんの後ろを、剣城くんは疲れた顔をして追いかける。
「遅れてごめんね!こっち来るときにちょっと色々あって……」
「色々というか、こいつが教室に忘れ物したってまさかの電車の中で言い出して、わざわざ取りに帰ったらこんな時間になったというか」
「つ、剣城!」
「なんだよ本当のことだろ」
それから剣城くんはもうなにも言えなくなってしまった天馬くんを尻目に鞄から財布を取り出した。相変わらずセンスが良くて、どこで買ったのって問いただしたくなる。
「剣城待って、おれも行く」
「いいから、おまえは座ってろ、話したいことたくさんあるんだろ」
天馬くんはまだなにか言いたげに口を開いていたけれど、剣城くんの背中が見えなくなってしまって、ようやくおれの隣に座った。
「相変わらず剣城くんて天馬くんに甘いなあ」
「えー、そうかな」
「そうだよ、二人とも相変わらずだよね」
羨ましい、と続けそうになった言葉を無理やり喉でせき止めた。あの頃からなにも変わっていない。剣城くんに十分にあいされて、頬が幸せにほころぶ天馬くんは、おれが夢にみた理想の恋のかたちだった。
「そう言う狩屋はどうなんだよ、霧野先輩のところに住まわせてもらってるんでしょ?」
天馬くんには、なかなか人には言いにくいことを聞いてもらっている。男のおれが男の先輩を好きになったことに自分でもあまり嫌悪しなかったのは、身近に天馬くんと剣城くんという良い例がいたからだった。
こういうのは別にひた隠しにするほどではないと思うけれど、だからといって人に触れ回って構わないかといったら、そうじゃない。信助くんと狩屋は隣同士肩を寄せあって楽しそうに話している。これならきっと、ここで相談に乗ってもらっても大丈夫そうだ。多分信助くんも影山もほとんど気付いているんだろうけど。
「……思ったよりうまくいかなくて、今朝も喧嘩して出てきた」
「狩屋のことだから、大体予想ついてた」
「うう……、毎日ご飯作ってるのにおかずのレパートリー見ただけでげっそりするし」
「調理実習のときもろくなもの作らなかったよね」
「つ、尽くせるだけ頑張ってるのにまるで相手にしてくれないし」
「狩屋って変なところでヘマする癖があるから見事に裏目に出ちゃってるね」
自分で言ってて悲しくなってきた。視界がじわりと滲む。
「天馬くんにはわかんないんだよお……どうせ大学だって剣城くんと一緒なんだろ……いいよな、おれは先輩に追い付こうとするだけで精一杯なのに……」
涙の膜を渇かそうと上を向いたおれの横で、天馬くんは言った。違うよと、確かに言った。そのときの表情は到底見えなかったけれど、声はひどく穏やかだった。
「おれと剣城、大学は違うよ」
「……え、うそ、なんで、好きな人の傍にはできるだけずっといたいものだろ」
だっておれは、今だってぎりぎり途切れないくらいのか細い先輩との関係をより強く固いものにしたくて、当たり前のように思っていた。好きな人のすぐ傍にいなきゃ、いつかどんどん遠ざかっていって、忘れられてしまうって、ずっと。
「おれは剣城の選んだ道を邪魔したくないし、剣城だってきっとおれのことをそう思ってくれてる、狩屋は好きな人のために自分の願いを殺すの?それって、誰よりも一番相手が悲しむんじゃないかな」
「でも、でもさ……」
「狩屋は、先輩のこと信じてない?」

天馬くんの言葉がまっすぐおれの心臓めがけて飛んできて、深く深く貫いた。みんなと別れてからだいぶ時間がたっているのに、ゆるやかな痛みがあちこち広がって、まだ立ち直れそうにない。おれは先輩のことを好きだけど、信じてはいなかったのかな。好きだけが空回りして、信頼はいつもどこかに落としていってたのかな。
右手に持ったビニール袋の中には、こんもりとキャベツが積まれている。今日は新しくロールキャベツに挑戦してみようと思う。それで朝のことを先輩に謝ってそれから、それから………。

それから、おれはどうしたらいいんだ?

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もれなく続きます


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