これの続き
久しぶりに見る友人の表情といったら気味が悪いくらい晴れ晴れとしていて、霧野の剥き出しの二の腕にうっすらと鳥肌が浮かんだ。勧められるまま腰かけたソファは霧野が覚えている限り相変わらずの座り心地で、瞳を閉じると簡単に意識を持っていかれそうだった。毛布を持って来させようかと訪ねる友人の声が酷く優しげなのが、また悪寒を誘う。眠気は遠ざかり、違和感だけが胸にわだかまりとして燻る。
「なんか、しばらく会わないうちに変わったな、お前」
「そうか?」
「そうだよ、おれが最後に見た神童は、」
(ただ呼吸をしているだけのほとんど死体みたいなものだった)
会話が途切れたことに首を傾げる神童へ力無く笑いかけ、なんでもないと霧野は首を振った。きっと忘れられたのだ。神童から奪えるだけ何もかも奪っていった女の亡霊を、忘れられたのだ。それは霧野にとってとても喜ばしいことで、やっと神童は俯いてばかりいた顔を上げて、柔らかい光を差した瞳に自分の姿を映してくれるのだと思うと、何十年間この時を待ち続けた途方もない苦労だってなんてことはなかった。たった今、すべて喜びに昇華されたのだから。
「霧野、聞いてるのか?……どうしたんだ、さっきから様子がおかしいぞ」
「ううん、なんでもない、なんでもないよ神童、ごめん、もっかい言って」
「しょうがないな、食事はどうする、もちろん食べていくだろう」
「食べる、若い女のならなんでもいい」
「用意させよう」
神童の綺麗な指が呼び鈴を鳴らせば、どこからともなくメイド達が姿を現す。
「確か昨日取り寄せた血液パックの中にまだ少女のものがあった筈だ、霧野にはそれを、おれはいつもので」
(……いつものって、なんだろ)
食事にこだわりの薄い神童のそんな言葉を聞くのは初めてだった。余程美味しい血なのだろうか。待ちきれないといったように組んだ指を動かす神童の姿に、霧野は笑みを浮かべた。
やがて白いテーブルクロスの上に二つのワイングラスが置かれる。ストローがささっていることを除けば、それなりに雰囲気は良かったかもしれない。細いストローから血を吸い上げることに神経を注いでいた霧野は、ふと思いたって神童の座る向かいのソファに向きなおした。
「それって、そんなに美味いの?」
「ああ」
「おれにも一口ちょーだい」
「駄目だ」
即答だった。
「これは、天馬の血のレプリカだから」
「……え」
「天馬の血に似せて作らせた、おれだけの食事だから、お前には飲ませられないんだよ」
ごめんな。
そう言ってグラスに頬擦りする神童を、霧野は呆然と見ていた。ようやく絞り出せた言葉が
「天馬って誰」
地の底から響くような低い声だったことに、霧野自身も驚いている。
「そうか、霧野にはまだ話してなかったな」
神童は幸せそうだ。幸せそうな神童の隣で、自分もそんな風に笑える筈だった。何にも捕らわれない神童とおれ、自由に生きて、そしていつかふたり揃って首を落として死ねるって、保証のなかった夢を、霧野はこんな身体にされてからずっと今の今まで、
「松風天馬、あの人の孫で、いつかおれが連れていく人間だ」
チャイムが鳴る。勢い良く立ち上がった神童が窓から玄関を見下ろす。噂をすれば本人だと笑って、霧野ひとりを置いて部屋を飛び出す。ワイングラスが倒れる。中身が溢れる。赤い命が流れる。あの女にどこまでもよく似た顔が神童と連れ添って帰って来たとき、次に音をたてて壊れ始めたのは霧野だった。
thanks:臍
いよいよ怪獣だね