※パロディ

「おれ、あなたの秘密知ってます」
目の前につき出された十字架のペンダントが揺れる。神童はしばらくそれを眺めたあと、小さな手から剥ぎ取って自分の首にかけてやって見せた。飛びはねる薄っぺらい肩を押さえつけ、もう片方の手に隠し持っていたニンニクを摘まみ出す。いよいよ驚きに青ざめる顔を見下ろして、神童は静かに息を吐く。
「これで満足か、松風天馬」
「満足、じゃないです」
制服の胸ポケットから取り出したビンがちゃぷんと音をたてた。太陽の光を反射して煌めく水の底に、少量の銀を沈めている。
「失礼します神童先輩っ!」
コルクを勢い良く抜き、神童目掛けて中身をぶちまけた。濡れた制服から零れる水滴が、屋上の床へ跡をつくる。
「……おい」
「ば、ばあちゃんが言ってた通りだ、やっぱり神童先輩は吸血鬼なんだ、」
「おれは十字架もニンニクも聖水も平気だっただろう」
「たまにいるんです、力の強い吸血鬼にはそういうもの効かないって、神童先輩がそれでしょう?」
「……なんだ、詳しいじゃないか」
緩く頭を振って、残った水を飛ばす。別に知られて困るわけじゃない。触れ回ったってどうせみんな信じないから、だから否定もしない。神童はまごうことなき吸血鬼だ。真性の。同族には始祖と呼ばれ、崇めたてられることが多い。孤独な孤独な、一番最初のひとりだった。
「祖母から聞いたと言っていたが、それは誰だ、おれの知っている人か」
松風は黙って生徒手帳に入った写真を神童へ渡す。色褪せてぼろぼろになった紙きれ一枚の向こうで、抱えきれないほどの菜の花を両手に抱き締める少女が、神童を見つめていた。忘れられたことなんて一度もなかった。この少女は神童が初めて心から愛して、そして初めて裏切られた人間だった。今でも脳裏に鮮明に浮かぶ、見知らぬ男の手をとって歩く彼女の後ろ姿。ごめんなさい拓人と何度も繰り返し謝りながら、自分のもとから去っていった。
「っ、最悪だ、今さらなんなんだ、孫をおれの所になんか寄越して!老いぼれて死ぬのが怖くなったから、おれに時間を止めてくれって頼みに来たのか!?」
ヒステリックに叫びながら手帳を床に叩きつけて喚く神童を、松風はどこか落ち着いた目で見ている。それがまた神童の神経を逆撫でて、鋭い憎しみに似た感情の行き先は松風に向かう。
「答えろ!あの人は今どうしている!」
「ばあちゃんは」
打ち捨てられた手帳を拾い上げ埃を払う松風の声は、神童の耳へまっすぐ届いた。
「ばあちゃんは、死にました」
頭が理解することを拒んでも体は正直なもので、力が抜けた神童はずるずるとその場に座り込む。死んだ。そうか。死んだのか。少しずつ少しずつ、彼女の本当の意味での喪失を受け入れていく。
「死んだ、のか」
「はい」
「おれのことは、なんて言っていた」
「優しい人だったって」
「嘘だ、そんな振る舞いをした記憶がない」
「あと寂しがりやで、精神があまり丈夫じゃない人とも言ってました」
「まあ、それは合ってる、気がする……」
「おれ、ばあちゃんからずっとあなたの話を聞いて育ってきたんです、吸血鬼らしくない吸血鬼って、それってただの人間みたいじゃないですか、いつかあなたに会ってみたくて、だから上京してこの学校に入ったんです、あなたがこの街にとどまり続けてくれて良かった」
写真の彼女と同じようにして松風が笑う。無意識に溢れ出した涙を止める術を、神童は知らない。慌てて背伸びをしてハンカチでそれを拭う松風の仕草も、初めて彼女と出会ったときの光景そのままだった。
「似てる」
「え」
「見た目は、あの人の方が美人だけど」
「ばあちゃん若い頃はモテモテだったらしいですから」
「ここ怒るところだろ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」
「あ、もう泣かないでください、目が溶けちゃいますよ」
「それは、困ってしまうな」
そして神童は記憶の通り松風を抱き締めた。
いつも花をつれていたあの人とは違う、海の匂いがした。

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