(変だな、こんなにちかくに京介がいるのに、さわれないなんておかしいの、この壁みたいなものなんだろね、京介、どうしよう、おれたち、手、繋げなくなっちゃった)
眼球がこぼれ落ちてしまいそうなくらい大きく見開いた瞳が天井をうつす。何が起こっているのか頭の整理がつかず瞬きを繰り返したあと、ようやく落ち着いたのは良いものの、汗を吸って身体に張り付くシャツが不快でたまらなくて、京介は深く深くため息を吐いた。
「……夢」
鉛のように重たい左腕を引きずりながら伸ばした先に天馬の寝顔があって、確かにその柔らかい頬に触れられたことに、思わず泣き出したくなるほど安堵した。外はまだ暗い。枕元に置いてある時計を見れば、ちょうど真夜中に差し掛かったぐらいだった。寝苦しい夜が見せた悪い夢にしては嫌に現実味があり、見えない壁を叩く感触もきちんと掌に残っている。向こう側の天馬が浮かべていた泣き笑いに似た表情を忘れたくて、消し去りたくて、安らかに胸を上下させる小さな身体に覆い被さった。安くて古いベッドがひどく軋んで、まるで京介の行動を非難しているようだった。
「天馬、」
掌を重ねる。深く絡み合わせる。触れられないなんて嘘だ。だっておれたちはこんなに強く深く繋がっている。天馬の目蓋が小刻みに震えて、そしてゆっくりと開かれていく。
「きょうすけ……?」
目尻に溜まる水を舌で拭った。くすぐったいと跳ねる身体を押さえつけ、できるだけ、できるだけ優しく耳元に吐息と一緒に吹き込む。
「したい」
「……急にどうしたの、ん」
薄い生地の内で息づく肌を撫でられて、天馬が鼻にかかった声をあげる。はね除けられておしまいと思っていた筈が、シーツの上を掻いていた手が自分の首の後ろへまわされたのには、さすがの京介も一瞬動きを止めた。
「いいよ、さっきすごく怖い夢みたから、おれも京介にさわりたい」
「怖い夢って、どんな」
「京介とおれの間に見えない壁が出来た夢」
目を伏せてそう呟いて、京介を抱き寄せる腕に力を込めた。
「酷いんだ、夢の中の京介ったらおれがどんなに頼んだって出てきてくれないし、そっちに連れてってもくれなくて、……あの京介は、ずっとああやってるつもりなのかなあ、たくさんの殻に閉じこもるひとりだけの国って、寂しくない筈ないのに」
(……それって)
「次にみる夢できっと向こう側に入れてね、京介と手を繋げないの悲しいから」
「そんなことおれに言ったってしょうがねえだろ」
天馬は目元を下げて力なく笑ってから、それからはもうなにも喋らなくなった。緩く頭を振って、すぐ目の前にあった細い首筋に顔を埋める。同じシャンプーを使ったのに、自分とはまるで違う匂い。それを吸い込んで満たされる肺。京介は思う。なにもかも受け入れたつもりで、手に入れたつもりで、けれど奥深くに届くぎりぎりのところで拒んできたのは、紛れもなく自分であると。あれがおれの作り出したものなら、ならいっそ壊してくれとさえ願う。天馬の掌が首の後ろから肩を通りすぎて背中で止まる。京介を仰ぎ見る瞳の青は、ひたすら静寂を帯びていた。
「いつか」
「うん」
「いつかおれのこと、あんな寂しいところから引き摺り出しに来てくれ」
「……うん」
respect:マトリョーシカ