※なんとなく史実ネタ
※春華さん捏造
なんとか奮い立たせた兄としての威厳だけが司馬師の足をこの場に引き止めていた。今にも泣き出しそうな弟の右の掌をきつく握りしめ、庇うようにしてもう一歩前へ出る。
一日に肉まんは三個まで。決められた約束を破ってしまった幼い兄弟は、今更ながら自分達の愚行を死ぬほど後悔することになる。小さなふたつの影を見下げる母の口角は微笑みの形に持ち上がろうとも、その瞳は笑っていなかった。
「子元さんも子上さんもとても肉まんがお好きのようだけれど、そんな可愛らしいのは名ばかりの肉の塊を食し続けていればいつか丸々と肥えた豚になってしまうのですよ?」
「も、申し訳ありません母上……」
「私はかような豚になったあなた達を愛せる気がまったく致しませんわ」
「うえ、あ、あにうえ、ははうえが怖いよう」
「泣くな昭!」
ですからその様なことになる前に、と春華は続ける。あんなに窓の外から聞こえていた鳥の鳴き声がいつの間にか止んでいるのが一層恐怖を際立たせた。
「断食をしましょう」
息子達から事の経緯を聞いた司馬懿は酷い頭痛を覚えた。泣きながら自分の足に縋り付くふたつの頭を撫でてやりながら、我が妻ながら恐ろしい女だと背筋を寒気が通っていく。我が子を巻き込んだ集団自殺まがいの嫌がらせにさすがの司馬懿も黙っているわけにはいかず、重い足を引き摺って春華の部屋へ赴いた。黙って司馬懿の後ろ服を掴む兄弟の頬や手足は随分と痩せこけていて、事態は思っていたよりも深刻であることが窺える。
「あら仲達さん、このおいぼれに一体何のご用でしょうか」
寝台に横たわる春華の身体は明らかな栄養失調を訴えていた。命を賭けた妻の反撃に、もう司馬懿は自分が頭を下げるしか無いのを知っているのだ。
「すまなかった」
「……」
「せっかく見舞いに来てくれたお前をおいぼれ等と罵って追い返すような真似をした私を恨んでこんなことをするのだろう、この通りだ、許せとは言わないがせめて息子達だけでも何か食べさせてやってくれまいか」
司馬懿の影に隠れて自分を覗き見る兄弟の姿に気付いた春華は、優しい笑みを浮かべてふたりを手招きする。それでも怯えて服から手を離さない司馬昭を引っ張って駆け出したのはさすがは兄の司馬師だった。
「子元さん、子上さん、食べたいものを言いなさい、用意させましょう、私も腹が空きました」
母の言葉にぱっと表情を明るくさせたふたりは、城に響き渡るような大きな声で肉まんの名を呼んだ。
微笑ましい家族の姿になんだか身体がむず痒くなるのを司馬懿は感じていた。まったく恐ろしい妻だが、それでも自分に欠かせない大事な一部だった。
「い、言っておくが可愛い息子を大事に思ってのことだ、別においぼれ、お前の為にわざわざ足を運んだのではないぞ!」
部屋を出る際、照れ隠しのつもりで言った司馬懿のその言葉に、春華のこめかみがぴくりと動いた。近くでそれを見ていた司馬師が本能的に危険を感じ、嬉しそうに肉まんを頬張る司馬昭の手をとって部屋を飛び出す。のと同時に父の聞き苦しい悲鳴が轟いたのは、言うまでもなく。
(女は強し)