まごうことなき夜が支配する時間に、おれとシュウは例の森の入り口に立っている。懐中電灯のひとつでもあればもっとまともな視界になっていただろうに。携帯の液晶の明かりだけを頼りに、どこか生き物の匂いのしない場所を進みだす。
「松風天馬はこんなところに一体なんの用があったんだ」
「ここらへんを通ると天馬の家まですごく近いみたい、いつもはこんな不気味なところ避けてるんだけど、その日の帰りは急いでて仕方なく……だって」
足元がよく見えないせいで歩きにくい。変なものでも踏んでしまったらシュウのせいだ。
「白竜、こわい?」
「別にこわくない」
「手繋ぐ?」
「……おまえが繋ぎたいだけだろう」
シュウがおれの指先をぎゅっと握る。相変わらず低い体温。たまに本当におまえが生きているのかどうか怪しくなるときがある。
森の中はとにかく静かで、おれたちの足音だけがやけに響いた。
「天馬はまず最初に淡い光を見つけたって言ってた、近付いてみたら、光の向こうにそれがいたんだって、……違う世界のぼくらって、どんなだろうね」
「そんなに気になるのか?」
「当たり前だよ、そうだなあ、違う世界でも、きみと一緒にいれたらいいなあ」
さりげなくとんでもないことを呟かれて、暗闇でよかったとおれは心底思った。顔が異常に熱を持っている。もしかしたらもう繋いだ手の熱さで気付かれているのかもしれない。涼しげに隣を歩くシュウが、少しだけねたましい。あのなあと言いかけて、やっぱりやめた。
それからしばらく辺りを探しまわったけれど、めぼしいものは見つからなかった。携帯のバッテリーもそろそろ危なくなってきたし、シュウもなんだか疲れてきているみたいだし、今日はこの辺りでお開きにしようかと思い始めていたそのとき、繋いでいたシュウの手がぴくりとなにかに反応した。
「白竜、あそこ」
シュウがある一点を指さして、おれの手を引く。
「……?なんだ、おれにはなにも見えないぞ」
「もしかしてぼくだけにしか見えないのかも、ちょっとここで待ってて」
「おい待てシュウ!」
「すぐ戻ってくるから」
繋いだ手はいとも簡単に離されて、ぬるい体温が遠ざかっていく。もう一度その手を掴むために駆け出すシュウのあとを追っておれも地を蹴った。目の前のシュウがだんだんと暗闇に溶けていく。伸ばした手が空をきって、おれはその場に力なくへたりこんだ。
「シュウ……」
なんなのだろう。おれはこの無力感をどこかで知っている。おれはどこかで、今と同じようにシュウをなくして、こうやってひとりうちひしがれていた。半身を無くしたおれはなにもできやしなくて、身体がおまえを求めてやまなくて……。
すぐそばで光が浮かびあがると、ああこれが探していたものなんだとすぐにわかった。光の向こうで話に聞いていた松風天馬と同じようにサッカーボールを蹴る幼いおれは、ひどく楽しそうだった。そばに誰かがいて、そいつと一緒にできるサッカーが本当に嬉しいという笑顔だった。よくよく目を凝らして光を見つめると、おれの隣には相も変わらずシュウがいた。黒ずくめの変な格好をして、女の子みたいな髪飾りをつけて、それでもそいつはシュウだった。おれたちは別の世界でも一緒だったのだ。悲しくもないのに涙がでそうだ。なんだか眩しくて、うまく瞳を開けていられない。

気が付くとおれは地面にうずくまっていて、身体のあちこちが泥まみれだった。ふらつく足をなんとか奮い立たせて歩きだすと、同じようにうずくまるシュウを見つけた。
「シュウ」
声をかけるとびくりと肩を震わせて、おれを振り返って見上げればその大きな瞳から涙を溢れさせた。
「はくりゅう」
「ああ」
「ぼくが見えるの」
「見えるし、触れるだろう、ほら」
抱き締めた身体はかわいそうなくらい震えている。もう離さないとでもいうように、強く強く力を込めた。
「見たの?」
「見た」
「天馬の話は本当だった、あれは違う世界線のぼくたちだ」
「そうだな、おれたちはそこでも一緒だった」
「すごく楽しそうにサッカーしてて、きみはずっと笑ってた」
「おまえもずっと笑ってただろ」
「でもぼくは人間じゃなかった」
「人間じゃなくてもシュウはシュウだ」
「きみは大人になるにつれてだんだんぼくが見えなくなって、ぼくの名前を叫んでは探すきみのすぐ隣に、ぼくはずっといたのに、きみに返事していたのに……」
違う世界線でもおれたちは一緒だったけれど、その終わりはけして幸福なんかじゃなかった。シュウを見つけられなくなったおれにも、おれに見つけてもらえなくなったシュウにも、時間はとても平等に、残酷だった。
「すまない」
「……」
「すまなかった」
「やめてよ、謝らないで、だってぼくたち、今がこんなに幸せなんだから、もういいんだ、もう、いい……、ぼくも勝手に消えてしまって、ごめんなさい……」
抱き締めあったまま、おれたちは動けなかった。あんなに静かだった森にやがて少しずつ生き物の声が帰ってくる。空を見上げると雲の合間からやっと星と月が見えた。今は23時56分49秒、ここは名前の無い森。泣きながらお互いを求めるおれたちに、夜はひたすら優しかった。

結界の境界が見える程度の能力を持つシュウの話によると、あの森には別の世界に繋がる結界とやらが不安定により集まっていて、おれたちはその割れ目から向こうを覗き見していただけに過ぎないのだという。そして結界の境界が見える程度の能力だったはずのシュウは何故かあのあと結界を操る能力にレベルが上がってしまったようで(本人はすこぶる喜んでいる)、本来あってはならないその結界たちをいとも簡単に消し去ってしまったようだった。おれからしてみればただ森の至るところを走りまわっては木に触れるという作業だけでそんなことができてしまうなんてとても信じられない。本当にオカルトサークルみたいだ。
シュウはといえばこの一件に懲りたかと思えば、案の定そうじゃなかった。秘封倶楽部の名前の由来はすっかり忘れてしまったのか、今では松風天馬の相談をズバッとマルッと解決したという触れ込みで大々的な宣伝に取り組んでいる。おどろおどろしいポスターを作りながらもその笑顔はいやに輝いているものだから、まあいいかとおれも結局はほだされてしまうのだ。
「シュウ」
「なに」
「これからも、そばにいてくれるか」
「当たり前だよ」
今日も今日とてふたりきりで街を駆けめぐる、密やかな夜は訪れる。シュウと手を繋いでいられたら、それでいい。それだけでどこまでも行けそうな気がするんだ。どの世界のおれもきっとそう思ってるさ。おまえが大切でたまらないんだよ、シュウ。

respect:秘封倶楽部
music:A Secret Adventure

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