「そういうこと、言うなよ」
ぞっとするような低い声が、あの剣城の喉からおそろしく這い出るなんて、到底信じられなかった。ついさっきまで天馬の話を聴いてはどこか嬉しそうに細められていた瞳は、いまや冷たさだけを湛えて、天馬をただただ責める。どうしてそんなことを言うんだ。やめろ。やめろよ。やめろってば。乱暴じみた剣城の視線が、仕草が、雰囲気が、そうやって天馬を苛む。
「つ、つるぎ、痛い、いた……」
掴み上げられた腕が軋む。まるで容赦のない力強さで、天馬は追い詰められて、逃げ場をなくす。いつもの剣城なら、天馬の知っている剣城なら、こんなことはしない。うっすら涙を浮かべる天馬を、いっそ残酷なくらいの無表情をして見下ろしたりはしない。
「そういうの、誰かに言われたりしたのか?おまえがおれに相応しくないって、誰に言われたんだ、教えろよ、早く、今すぐに」
「ちが、う、違うよ、嫌な気分にさせたならごめん、謝るから、だから、」
「……本当にか」
ひたすら頷いてみせる天馬に満足したのか、能面みたくべったりと張り付いた無表情が、それはもういともあっさりと拭い去られて、あっという間にいつもの剣城は帰ってきた。痕のついた天馬の手首を撫でさすっては、すまないと呟く。
「でも、おまえが悪いんだ、おれには松風が必要なのに、どうしても松風がいないと駄目なのに、おまえがその気持ちをぜんぶ否定するようなことを言うから、許せないんだ」
薄い皮膚に鮮やかに浮かんだ血管を、剣城のうつくしい指先がなぞっていく。ひとつずつ、丁寧に。ときどき甘い痛みと一緒に残される爪痕が、その先の愛撫をねだるみたいにひっそりと疼く。剣城に触れられると、自分の身体なのに制御がきかなくなって嫌だ。剣城だけに反応して、剣城だけを欲しがって、こんな、こんなはしたない身体で、剣城の傍にいたくない。凛として、澄んだ空気をまとった剣城には、やっぱり似合わない。
「だって、だって剣城にはおれ以外にたくさん選択肢があって、きっとそのどれもが幸せできらきらしてて、だって、おれを選んでも絶対、絶対そうはなれないんだよ」
「そんなのいらない、全部いらない」
「剣城!」
剣城本人が思っているよりも、剣城はもっとずっとあいされている。天馬は知っている。いつも部活の練習を覗き見ている、あのかわいい女の子たち……。やわらかくて、いいにおいがして、やさしくって……。剣城に必要なのは、そういうものだ。男の天馬じゃ、どうやったって剣城を満足させてやれない。
人よりもたくさん傷つけられてきた剣城には、幸せになって欲しかった。女の子と付き合って、キスをして、セックスをして、いずれは家族を持って、穏やかに生を送っていって欲しかった。どれも天馬となら、叶わないことばかりだった。
誰にも話せない、秘密の恋をしている。ソドムの罪に濡れたふたり、陽の下には出れないくらい、許されない禁忌で汚れている。清廉な剣城を巻き込んで、こんなことになってしまって、天馬は項垂れるしかなかった。おまえをあいしていると何度も繰り返してくれる剣城の言葉がなかったら、もうこれから先、自分がどうなっていくのか、わからない。
「……ごめんなさい、ごめん、なさい……」
泣きじゃくる天馬を抱いてあやす剣城の静かな横顔は、すべてを許しきっていた。
ふたつの呼吸、ふたつの心臓のおと、ふたつの内緒、これだけ抱えて、ふたりきり、また深い罰の海が寄越す波に足下をすくわれる。
music:ヒメゴトクラブ
title:diana