夕焼けに赤く染まるエノコロ草の原っぱの中で、彼女は微笑んでいた。もう何年ぶりになるかわからないけれど彼女の姿はあの頃と寸分の違いもなく、僕の名を呼ぶ優しい声も変わってはいなかった。
君はどんな姿になっても僕のことがわかるんだね、その名前で呼ばれるのが、なんだかくすぐったいや。
柔らかい肌に触れたくて手を伸ばせば、彼女はするりとそれをかわした。代わりとでも言うように掌にエノコロ草を握らされる。
「………どうして」
「それを、君の大切な人に渡すと良い。一番綺麗なのを選んだから、きっと喜んでくれるよ」
「っ、僕は」
「もう君の中に、ボクの居場所は無いんだよ」
「違う、どうしてそんなことを言うの、僕はいつだって、」
その先がどうしても言えなくて、僕は口を閉ざした。目の前の彼女が、ほらね、と笑う。
「喧嘩は駄目だよ、仲良くしなきゃ。君は意外と頑固で素直じゃないから直ぐに誤解を受けるんだ」
「…………うん」
「ちゃんと謝って、ほんとの気持ちを伝えてご覧。君の心はもうとっくに決まっているんだろう?」
視界がぼやけて彼女の姿が薄れていく。
最初からこれは夢であることは分かっていた。だけど、どうしても貰ったエノコロ草だけは離したくなくて、手にぎゅっと力を込める。
「彼によろしくね」
「……きっと、これ、ハセヲも喜ぶよ」
「ならよかった」
謝罪の言葉は必要としていないだろうから、言わない。
「ありがとう、ミア」
「どういたしまして、さよなら、エルク」
強い風が吹いた。
何もかもを押し流していくような、風だった。
「い、おい!エンデュランス!」
聞き慣れた彼の焦るような声に、徐々に意識が戻ってきた。
瞼を上げれば眉根を寄せて僕を覗き込む瞳とかち合って、そういえば喧嘩?している最中なんだっけと、どこか遠い頭で考える。
「こんな所で寝るなよ!し、死んでるかと思ったじゃねえか!」
「…………僕、寝落ちしてたの?」
「……いくら声かけても起きねえから、心配したんだぞバカ……」
冷たいタイルの感触がまだ背中に残っている。ハセヲ曰わく死体みたいに街の端っこに横たわっていたらしい。
今にも泣き出しそうなハセヲがちょっぴり可愛いなんて思ったことは内緒にしておく。今言ったら殴られちゃう。碑文使いは何かと不便だなあ。
「心配してくれたんだ」
「……酷いこと言ったから、ほんとに、いなくなったかと思って、あの、俺」
「ハセヲ」
強く握り締めていた右拳を差し出す。
「あげる」
「………エノコロ草?おま、なんでこんなもの」
「僕は、ミアのことをまだ忘れられない。好きで、大切な人だから」
「……知ってる、だから俺は」
「でもハセヲは特別、ミアとは違う、もっともっと君を好きになりたい、君に好きになってもらいたい」
俯くハセヲの頬が少しだけ赤くなった。
ちらりと僕の方を見て、それからエノコロ草に手を伸ばす。
「綺麗だ」
「ハセヲは、もっと綺麗だよ」
「うるせえバカ」
「ハセヲ」
「ん」
「愛してるって、こういうこと?」
「………さあな」
手にとったエノコロ草を大事そうに持ち直して、ハセヲは小さく笑った。
僕のおかしくなった部分を再構築してくれる幸せが、確かにそこにあった。