Clover

 猫を追って





"退屈"とぼやいていたあの"なんでもない毎日"が、今では大切な…大切な、私の宝物。





「もー、エドってばかっこよすぎ!!
脳内エド率200%だよぉ〜」



学校の制服のまま、私――中原 鈴は開いた分厚い雑誌を膝の上に置いたまま、だらしなく笑った。
開いたページには、先程私が口走った名前の人物がファー付きコートを着用していて、早くも冬仕様になっている。

彼の正式の名前は、エドワード・エルリック。
現在、ガンガンという分厚いコミック誌で連載されている、鋼の錬金術師という漫画の主人公だ。

エドワードの横に描かれている彼の身長を裕に超す大きな鎧は、彼の弟であるアルフォンス。
二人もこの鋼という作品も、私が大好ぶt…じゃなくて、大好きだと胸を張れる作品とキャラクターである。


「んー、面白かった!」


満ち足りた気持ちで、強張った筋を伸ばそうと背伸びをする。
そして、重力に身を任せて、ボフンと後ろへと倒れこんだ。

ベッドのスプリングが悲鳴を上げたのは、読み終えたガンガンを放り投げたせいだと思…いたい。

逃げるように視線を天井から反らせば、サイドテーブルに伏せられた一枚の写真立てを視界が捉えた。
その途端、胸にズキリと痛みが走る。


「………っ」


伏せた筈なのに。
見なくて済むように伏せた筈なのに、瞼の裏に焼き付いた残像がそれを思い出させた。

記憶のテープが巻き戻る。
思い出したくない、忘れたい思い出が色鮮やかに頭の中に蘇る。


「(いやだ……!いやだ…もう、思い出したくない…!!)」


それと向き合いたくなくて、逃避しようと固く目を閉じる私を嘲笑うようかのように、降ってもいない雨の音が聞こえた。

脳裏をかすめた懐かしい顔に、目頭が熱くなってキツく閉じた瞼が震える。
泣きたくなんてないのに、意思に反してジワリと涙が滲んだ。


『―――ごめん、中原』

「……――っっ」


優しくて残酷な声の幻が、遂に私の意思を決壊しかけたその時、――チリン、と可愛らしい音色が響いた。
その小さな音でスイッチが切れたかのように、悲しい幻像は静かに消えていく。

辛うじて、涙は零れずに済んだ。

(助、かった……)


心底安堵して私がホッと息を吐いた直後、不意にベッドが小さく揺れた。
フッと顔に影がかかったと思うと、ザラリとした生暖かく湿った物が頬を撫で上げる。

その覚えのある感触に目を開けば、金色の中に浮かぶ黒の縦長の瞳が私を見つめていた。


「ロコ……」


ポツリとその名を呼べば、ロコはニャアと一声鳴いて私に体をすり寄せた。
それが何故だか慰めてくれているように思えて、頬が緩む。

少しだけ身体を起こし、感謝を込めつつロコの頭を撫でた。


「ありがとね、ロコ」


私にされるがままに撫でられ、ロコは目を細めて小さく鳴いた。


「〜〜〜っ、ロコー!」


返事でもするように鳴いたロコを思わず抱き締める。
あぁ、もう!相変わらず、なんて可愛いんだ!

親バカならぬ飼い主バカだと言われようと、気にする気さえ起きないんだからペットってすごい。

暫く毛触りと温もりを堪能して、ようやく苦しそうにもがくロコに気付き、「ごめんごめん」と謝りながらその小さな体躯を解放する。
束縛から解放されたロコは一挙動で床へと飛び降り、その首に取り付けられた首輪の鈴がチリンと鳴った。


「(あ……。
そういえば…最近、外の散歩には連れてってあげてないなぁ…)」


私を見上げる黒猫を一瞥し、携帯を開く。

現在の時刻は16時24分、散歩に行く時間としては妥当だろう。
続けて窓を見やると、閉められたカーテンの向こう側からまだやや強い日差しが降り注いでいた。

だが、太陽も残すところ数時間で山向こうに姿を消し、陽光も徐々に和らいで来るだろうし……いい頃合いかな。


「………うん、決めた!」


その声と同時に、勢いをつけて起き上がる。
そして、ベッドから降りてしゃがみ込み、待ち続けているロコをやんわりと撫でた。


「ロコ、久々に外のお散歩に行こっか?」


上がった鳴き声を肯定と受け取り、私はその小さな体を抱き上げた。








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