01.序章 ( 1 / 4 ) [栞]



天上の歴史に残るであろう、センサスとラティオの戦いは、今、まさに終局を迎えようとしていた。

その最中、"彼女"は崖上からひっそりと、眼下に広がる戦場を見つめていた。
淡い金色の瞳に、悲しみと凄惨な光景を映して、ただひたすらに己の記憶に焼き付ける。


(どんなに時が経っても、やはり争いだけは変わらないものね……)


兵士の悲鳴や雄叫び、武器を打ち付ける金属音と爆音が平野に響き渡る。

時折、それらの合間に聞こえるのは、兵士達の断末魔の叫びで。
その度に、否が応でも此処が現実である事を思い知らされる。

その苦しみに満ちた声に、思わず両の耳を塞ぎたい衝動が込み上げたが、辛うじて堪えた。

代わりに、土埃と血臭をまとった風にたなびく、瞳と同色の髪を押さえ、"彼女"は遥か遠くまで続く天上兵の屍を見やる。
その間も絶え間なく聞こえる、命を奪う音と、奪われる音。

それらはもう随分と沢山聞いてきたけれど、未だに慣れない。
これから先も慣れる事はないであろうし、心が痛む事など無くなる筈もないのであろう。

それでも、見届けなければならない。
歴史に刻まれる史実も、その裏に葬られる真実も、全て。

それが、この世界に生まれ落ちた時より課せられた"彼女"の責務であり、


(私の、存在意義なのだから)


下らない物思いにそう区切りをつけ、"彼女"は先見で視た争いを見つめた。

もうじき、"この"戦いは終わる。
センサスの勝利をもって、天上での"最後"の戦いが終わる。

先見で視た通りの結果……そして、このまま先見の通りに事が進むのであれば、先に待つ結末は只一つ。

――天上の崩壊だ。
龍神ヴリトラと"彼女"と荒れ果てた城だけを残し、天上も、天上に住む者たちも全て、滅ぶ。

地上もまた、近い将来その道を辿るだろう。

本心を言えば、どちらの未来も是が非でも回避したい。
"彼女"は"彼女"なりに世界を愛していたから、消滅など望んでなどいなかった。

しかし、その思いがどうやっても叶わない事を、叶えられない事を知っているから、言う事はない。願う事も、ない。

"彼女"を縛り付ける絶対的な約定がある限り。
"彼女"が"彼女"である限り、定めを曲げる事は許されないのだ。

たとえ、どんなに望んでいたとしても。


『此処にいたか、ルネアス』


背後からかかった声で我にかえり、おもむろに振り返る。
先程此所に来たであろう、親しき友でもある将を目で捉え、"彼女"−−ルネアスは笑みで歓迎した。


『ごめんなさい、少し風に当たりたくて。探したかしら?』

『いや、気にしなくていい。
それより、顔色が優れぬようだが……また何か視たのか?』


アスラの言葉にルネアスが小さく目を見開くが、それはすぐに苦笑じみた笑みへと変わる。

彼女は、事実上センサスを束ねているアスラにさえ、殆ど話していない。
己の責務の事、視た未来の事、己が何を司る神であるかすら話していない。

唯一打ち明けたのは、先見の能力の事くらいか。

しかし、それも運命の中心にいるこの武将の近くにいる必要があったから話したに過ぎず、アスラを信用して打ち明けた訳ではない。
利用する為に、話しただけなのだ。

おそらく、それはアスラも察しているであろう。

それにもかかわらず、この豪胆ながらも優しき武将は、そんなルネアスに対しても心を砕くのだ。
"気に入った"と、ただそれだけの理由で。

あまつさえ、素性の知れないルネアスを友とさえ呼ぶ。

なんて愚かなのだろう、なんて浅薄なのだろう。
ただひたすらに、アスラは全てに真正面から向き合うのだ−−その深い情が滅亡を招くだなんて思いもせずに。

しかし、憐れむ反面、自らの過ぎた行いは棚に上げる己に、ルネアスは内心で自嘲の笑みを浮かべた。

アスラが愚かならば、彼に応えて友と呼び、彼に幾許かの期待を寄せる己も同類ではなかろうか。
否、アスラよりも滅亡の未来を知りながら止めようとさえしないルネアスの方がずっと罪深い。

この武将が失意と絶望の中で命を落とすと知りながら、彼を友と呼ぶ己の卑しさに比べれば、アスラの危うい情は美しくさえあった。

返答を待っているのか、もしくは僅かな変化も見逃すまいとしているのか。
じっとルネアスを見据えるアスラに、彼女は長い沈黙の後、ようやく観念したように口を開いた。


『……えぇ、少し』

『……そうか』


一言だけ返ってきた短い返答の後、アスラを見上げたルネアスの頭に大きな掌が乗せられる。

ルネアスが目を瞬かせると、指に髪を絡ませるようにクシャリと頭を撫でられた。
童をあやすような仕草だったが、初めての心地よい感触にそっと目を細める。

ゴツゴツとした指、身長に違わぬ大きな掌だった。

戦場では聖剣デュランダルを振るい、命を奪う手。
先程もヒュプノスを討ち取り、その命を摘んだアスラ。

けれど、その手は低温ながらも確かに体温を宿していて……その温もりに命を感じた。



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