オルゴールは回る
暗い海の底のような闇の中で、誰かの声を聞いたような気がした。
(っ……?)
まず感じたのは、頬に当たる冷たい感触。
冷えた金属のような冷たさに眉をしかめ、体勢を変えようとした瞬間、とてつもなく大きな物音が響いた。
爆発でもあったんじゃないかと錯覚する程の音に驚いて跳ね起き、何事かと慌てて周囲を見回したあたしは、次第に頭が真っ白になっていくのを感じた。
呆けたように固まったあたしの視界に映るのは、金属製の壁と床。
見た事もない簡素な造りの、まるで金属板で出来た箱のような部屋。
…………ここ、どこ?
暫く放心していたが、やがて真っ白になっていた思考に、ようやく疑問が浮かぶ。
もっともな疑問だが、こんな部屋に覚えもなければ、ここに居る理由にさえ覚えもないあたしが、その答えを持ってる筈がない。
……いや、とりあえず此処が何処かとか、此処に居る理由などは、今は気にしない事にしよう。
考えたってわからない事を考え続けても、時間の無駄にしかならないのだから。
疑問符が手に手を取って躍り出す前に思考を断ち切り、起こしかけていた身体を改めて起こし、あたしは床に座り込んだ。
(えっと、あたし……あれ?)
目覚める前の記憶をいくら手繰り寄せても、至る道筋も結果も変わらない。
確かにあの時、あたしは死を感じ、それに呑まれた筈だった。
そう、あたしは死んだのだとばかり思ったのだが……これは一体どうなっているのだろう?
まさか、ここは地獄なのだろうか。
それとも、実は先程の死の体験は夢で、あたしはまだ家で呑気に寝てたりするのだろうか。
個人的には後者だと物凄く嬉しい。
試しに頬を思い切りつねってみたが、つねり過ぎたのか、痛みに涙が滲むだけで終わった。
うう、思ったより痛い……これでは骨折り損ならぬ痛み損だ。
やはり、世の中そんなに甘くはないらしい。
(夢、じゃないとしたら……此所はどこなんだろ?)
再度観察した部屋は簡素ながらも、どこか牢を連想させる造りだった。
十メートル四方程度の暗く小さな部屋で、光源はあたしの後方にある小窓が一つだけ。
また、小窓の周囲から微かに漏れる光で、小窓が取り付けられてるのは扉であろう事が推測出来た。
試しに駆け寄って、壁と扉の境目と思しき場所に触れてみると、やはりくぼみがある。
だが、一通り探ってみたが、取っ手やノブなどはなく、こちらからは開けられそうにない。
脱出は一旦断念し、小窓から外の様子を伺えないかと上向けば、小窓にはめられた格子が目に入った。
(……ってこれ鉄格子!?)
間近で見て初めてわかったのだが、てっきり小窓だと思ってたそれには、鉄格子がきっちりとはめ込まれていた。
生まれて初めて現物を見たと一瞬感動にも似たものを覚えたが、そんなものよりも驚愕の方が大きい。
鉄格子があるという事は、この部屋は先程連想した牢そのものだという確率が高い。
つまり、何故かは知らないが、現在、自分は牢屋に閉じ込められているかもしれないのだ。
八方塞がりとは正にこの事だろう。
とてもじゃないが、良いとは言い難い現状に、あたしはがっくりと肩を落とした。
(やっぱり、ここ……地獄なのかな……)
再び床に座り込み、膝を抱えたあたしの脳裏を、思い出たちが走馬灯のように駆け抜ける。
生前、あたしは何かしただろうか。
犯罪なんて犯していないし、れっきとした一般市民だった筈だ。
少なくとも、地獄の閻魔様にお世話になるような事をした覚えはない。
じゃあ何故なんだと延々と堂々巡りを続けるあたしの自問自答は、扉の向こう側から聞こえてきた足音に中断させられた。
カツカツカツ、と規則的な音を清閑な空間に刻むそれに、自然と意識が向く。
(……誰、かな?)
聞こえる足音は重なり合って廊下に響き、少なくとも歩いてる人物が複数である事はわかった。
次第に大きくなる足音に不安を覚え、扉から離れて後ずさる。
トン、と背中が壁を叩いた時、軋みをあげながら扉が開いた。
途端に部屋を照らした光に、思わず片腕で目を覆う。
「話は追って伝える。それまではこちらで待機との事だ」
「わかりました」
聞こえてきた男女の声に、細く瞳を開いて目を凝らせば、薄明るい光の中に2つのシルエットが見えた。
小柄な人影と、中背の人影。
しかし、小柄な人影が部屋に入ったのを視認した直後、再び扉が閉ざされてしまった。
室内を闇と沈黙が支配する。
……どうやらあたしには気付いていないらしい。