オルゴールは回る
研究所で貰った呼び名は、知り合いが誰もいない、今いる土地さえわからないあたしにとって、此処にいる確かな証となりつつあって。
呼ばれ慣れない名で呼ばれる度に、それが自分の一部になっていくのを感じた時、不安だってあったけれど安心もしたんだ。
あたしは此処にいるのだと、確かに存在してるのだと思えたから。
(なのに、あたしは……)
それなのに−−あの優しさに報いる機会を、他でもないあたしが壊してしまった。
そして、それはきっと恐らく、今後も訪れる事はないのだろう。
今更、スパーダはそんな事を望まないだろうから。
だったら、あたしに出来る事は、残された事は。
(駄目だ……もう、これしか思い付かないや)
結局、思い浮かんだのは中途半端な初志を終わらせる事だけだった。
考えの狭い自分に自嘲しながら、気遣わしげに肩へと置かれた班長の手をやんわりと遠慮し、俯いていた顔を上げる。
先ほどの事だろうか、喧々囂々と言い争うスパーダとイリアに、それを止めようとして泣きそうになっているルカ、そして苛立たしそうに怒鳴る上官の姿。
あたしが為出かした事で、三人の仲まで危うくなっているのが申し訳なかった。
心苦しさからまた俯きそうになる首を叱咤して視線を巡らせ、見つけた目的のものへと走り寄る。
拾い上げたそれを抱き、数回深呼吸を繰り返して心を決めた。
「い、イリアもスパーダも、おおお落ち着いてよ!」
「ルカは黙ってなさいよ!!そもそも、こいつが……、っ!」
歩み寄るあたしに気付いたイリアが、マズイとでも言いたげな顔を思いきりするものだから、思わず口の端が弛んで苦笑を形作る。
彼女の声に此方を見たルカも表情こそ違えど大方似たような顔で、スパーダに至ってはしかめっ面で視線を反らした。
仕方ない、事なんだろうけど……急拵えながら覚悟もしてたけれど、こうあからさまに拒絶されると胸が痛い。
でも、スパーダの気持ちもわかる。
あたしだって憤りが収まったワケじゃなくて、ただ、怒りよりも申し訳なさや後悔の方が大きいだけで。
でも、感情任せにしてしまったら初志を終わらせる事さえ出来ないのは分かっていたから、それら全ての感情を飲み込んで表情を貼り付けた。
「ど、どうしたの?リズさん」
恐る恐る問い掛けてきたルカに、手にしていた荷袋を差し出す。
戸惑いながらも受け取ってくれた彼にホッとしながら後ろへと下がれば、どうしてかわたわたと慌て始めた。
「え、え!?あの、リズさん、これ!」
この反応、どうやら反射的に受け取ってしまっただけらしい。
何ともルカらしいが、受け取ってもらわないと困る。
だって、これがあたしなりに考えた初志の終わらせ方だから。
あたしは役に立つどころか恩を仇で返してしまったけど、道具や食材なら役立てられると思うから、彼らに使って欲しかった。
返そうとしたのか、荷袋を差し出してくるルカに首を振り、表情筋を駆使して笑顔を作る。
それが虚栄だと気付かれないよう意識して笑いながら、ゆるりと持ち上げた右の掌を彼らに向けて意思を示した。
それは貴方たちのものだから、使ってやって欲しいと願いも込めて。
「えっと……くれる、って事……?」
「本当か!しかし、リズはいいヤツだな」
意図をほぼ正確に汲み取ってくれたルカに頷けば、コーダが飛び上がって喜んだ。
率直すぎる喜びように、思わず偽る事なく自然な笑みが浮かぶ。
「そろそろいいか、リズ」
班長の声に振り返り、先程よりも余裕のない表情の彼に頷く。
銃声と共に微かに聞こえていた悲鳴は、今ではだいぶ聞き取れるほどに近付いてきていたから、猶予が無いのはわかっていた。
「リズ!」
「!」
呼び声、そして風を切る音。
向かってくる気配に手をかざし、勢いよく手中に収まったそれを素早く掴む。
手のひらに伝わる馴染みのある感触でそれがロッドだと気付き、声の主であるイリアを見れば、彼女は呆れたように笑っていた。
「忘れ物よ。あんた、見かけによらず意外とそそっかしいのね」
からかうような口調の中に、その笑顔に、苦々しさのようなものが滲んで見えたような気がしたのは、あたしの気のせいなんだろうか。
それとも、あたしがそう感じているから、そう思うだけなんだろうか。