オルゴールは回る
息苦しささえ感じそうな沈黙に、チトセの溜め息が落とされた。
何かを悟ったらしい彼女は眉を下げ、「すみません」とあたしの代わりにキルヴィスに頭を下げた。
う……ごめん、チトセ。
「構いません、気にしていませんから。
それよりお二人とも、到着したようですので降りましょう」
「わかりました。……行きましょう?リズちゃん」
チトセの問い掛けに頷き、チトセの後ろを歩き出す。
歩きながら二人をチラリと一瞥し、顔を俯かせた。
鳥肌が立ったままの右腕を擦りつつ、連結間の扉を潜る。
どうしても、キルヴィスを見る度に鳥肌が立つ。
悪寒が走り、何かに怯えるように心がザワザワと落ち着かなくなる。
今までこんなに歴然とした拒否反応が出た事がないから、どうしてそうなるのか、ハッキリとした理由はわからない。
でも、彼の笑顔と……そう、眼鏡の奥のあの眼がたまらなく苦手だった。
顔は笑っているのに眼の奥はまるで凍りついてるような、そんな冷たさを感じて、その間に横たわる温度差
に慄然とする。
そのキルヴィスと、黎明の塔へ着くまで行動を共にしなければならない事は、あたしの心に深い影を落としていた。
(気が重いなぁ……)
本日何度目になるかも分からない溜め息を吐き、列車の外――西の戦場へと足を踏み入れた。
(う、わ……っ)
風に乗って、火薬の匂いと何かが腐敗したような臭いが届き、思わず眉をひそめた。
しかし、異変はその臭いだけでなく、ピリピリした空気にもあった。
車内、いや転生者研究所でさえ感じなかった雰囲気を肌が敏感に感じ取り、一気に、そして強制的に気持ちが切り替わる。
殺気立った空気に、否が応にも自分が立つこの場所が安全地帯でない事を思い知らされ、胸の内が冷えていく。
(そうだ……ここは戦場なんだ)
命のやり取りをする場所でもあるが、大勢の兵士が命懸けで戦っている場所なのだ。
国の為、家族の為、生活の為、人それぞれに理由はあるだろう。
けれど、その理由の為に彼らは此所で戦い……そして、死ぬ事もあるんだ。
この陣営地は前線ではないけれど、手伝いとは言え戦いの場に足を踏み入れる以上、軽い気持ちで立つのは止めよう。
軽く深呼吸をしてから、少し先を進むチトセたちを追いかける。
空気は相変わらずだったけれど、気持ちを改めるにはちょうどよかった。
こういった事は初めてだから、どこまで出来るかはわからないけども……手伝う以上は出来る事を精一杯頑張ろう。
さほど掛からずに追い付いたキルヴィスとチトセの背中を追い、天幕がポツポツと立つ中を歩いていく。
白衣を連想する白の制服を着た人や軍人らしき人達が忙しなく動き回る中を通り抜け、基地内でも指折りの大きさを持つ一つの天幕の前で立ち止まった。
テントの中から聞こえてくる苦しそうな呻き声、それに鼻にツンとくる消毒液の臭い。
天幕に何か文字が書かれているものの、見たこともない外国語で読めなかったけど多分ここは……救護テント、だろうか?
観察するのに気を取られていたからだろう、声をかけられるまであたしは彼の存在を忘れていた。
「リズさん、でしたよね?」
「っ!」
思わぬ呼び掛けに肩を跳ねさせ、一拍置いてギギギ、とぎこちなくそちらに顔を向ける。
予想通り、そこには微笑んだ……いや、若干苦笑気味のキルヴィスの姿があった。
う、わ……また鳥肌、が。
「そんなに緊張なさらないで下さい。
チトセさんにはあちらの炊事テントで、貴女にはこちらの救護テントでのお手伝いをお願いしたいのです」
お頼みしても宜しいでしょうか?と続けたキルヴィスの言葉に、早くこの場から逃げたい一心で頷いた。
彼はあたしの隣で、多分あたしとは違う想いで同様に頷くチトセを見て、再び微笑む。
「では、宜しくお願い致します。
私はこちらの指揮官に挨拶をして参りますので、何かありましたら各自の自己判断で対処なさって下さい」
そう告げ、キルヴィスは歩き去っていった。た、助かった……。
あの人の笑みが純粋な"笑顔"に見えないのは何でだろう。
あたしには少なくとも愛想ではなく、むしろ武装に見える。
あの笑顔が彼の標準装備なんだろうかと本気で疑い始めるあたしをよそに、チトセも「じゃあ、また後でね」と言って、あたしを残して炊事テントへと向かってしまった。
彼女を見送り、そっと救護テントを仰ぎ見る。
呻き声の合間に聞こえる悲鳴に怯みそうになるが、グッと堪えて唇を一文字に引き結んだ。
(女は度胸!頑張れ、あたし!)
母の口癖だった言葉と共に、自身の両頬を叩いて喝と気合いを入れ、天幕を潜った。