オルゴールは回る
構えたあたしを見て、兵士の瞳がスッと細められる。
(……来る!)
そう確信した直後、数歩で距離を詰めてガラム兵が切り掛かってきた。
彼が鈍く光を反射する凶器を振りかぶったのを視界に認め、逃げ出しそうになる本能を押し殺して、素早くロッドを眼前にかざす。
間を置かず、甲高い音を立ててロッドに叩きつけられた剣は想像よりもずっと重かった。
歯を食いしばって衝撃に耐えながら、すぐさまロッドを傾け――受け流す。
兵士の表情が驚愕に彩られたのを視界の隅で捉えつつ、膝を折って身体を沈めた。
「なっ!?くそ!」
続け様に横に振るわれた剣の下をかいくぐり、ガラム兵の背後を取った。
失態に気付いた兵士が振り返る前に、その無防備な首筋にロッドを叩き込む。
加減したとは言え、直接急所に打撃を喰らったガラム兵は低く呻き、膝から崩れ落ちた。
念の為に距離を取って倒れた兵士の様子を窺ったが、ピクリとも動かずに倒れたままだ。
……どうやら、気絶してくれたらしい。
安心した途端、ドッと疲労が押し寄せた。
(た、助かった……)
安心したせいか疲れからか、力が抜けて思わず座り込み、仰向いて深い溜め息をついた。
両親と友人に勧められるままに、合気道と棒術を習っておいてよかった。
そうでなければ、今頃、あたしは死体に変わっていたかもしれない。
そう考えて、自分の考えにぞっとした。
死体だなんてとんでもない話だ、けれど恐らく訪れる可能性の高かった未来である事には違いない。
ここにいない三人と師範に感謝しながら、身を守ってくれたロッドを抱き締めた。
(そういえば……この人、どうしよう……)
ふと今後の事を一切考えていなかった事に思い至り、座ったままガラム兵を一瞥するが、起きそうな気配はない。
それでも念のため、なるべく音を立てないようにそろそろと立ち上がる。
やはり投げ出された四肢さえ動かない……そんなに強く叩いてしまったのだろうか。
少し心配になって観察して初めて、彼が思ってたよりも若い事に気付いた。
身長も高く体格も良いが、帽子が転げ落ちた為に見えた顔は二十過ぎくらいに見える。
あたしとそう遠く離れていない年若い兵士を前に、心が揺れた。
無難に、このまま置いてさっさと立ち去るのが一番いいのは分かっていた。
事実そうするつもりだった……今この時までは。
しかし、彼が自分に近しい年齢である事に気付いてしまった今、このまま置き去りにしていくのは躊躇われた。
地理的に見つかりにくい場所とは言え、もし王都兵に見つかってしまったら、彼はどうなる?
きっと……無防備なまま、殺されてしまうのではなかろうか。
過ぎった考えに、ひやりと冷たい何かが胸の内を滑り落ちていく。
きっと、だなんて希望的観測に過ぎない事は分かっていた。
今は可能性の一つでしかない、けれど限りなく確信に近い想定だという事も分かっていた。
それは、戦争ならば当然の事なのだろう。
仮にも彼は敵兵で、だからこそ味方には見えないあたしを襲ってきたのだ。
(でも……)
あたしが気絶させた彼は、王都軍の兵士に発見されてしまったら……殺される。殺されてしまうのだ。
あたしが手当てした兵士さんが、気絶したままの彼を見つける可能性だってある。
それは、どう転ぼうとあたしが間接的に彼の命を奪う事と同義じゃないか。
考えようとさえしなかった事実の裏の実情に、身体が震えた。
彼に罪はない、ただ敵同士だっただけだ。
彼はあたしが奉仕活動に参加していた王都に敵対する国の兵というだけで、彼も人には違いなくて。
ならば、彼にだって帰る場所や帰りを待つ人がいる筈なのだ。
(やっぱりダメ……このままにしていくなんて、出来ない)
理性では危険だと、早く離れるべきだと分かっていたけれど、気絶した彼の先にある可能性に気付いた以上、心はその選択肢を受け入れられなかった。
せめて、見えない所に……藪か茂みにでも彼を隠そう。
後方の茂みを見回し、葉の密度が高く一番近い箇所に目を付け、もう一度兵士へと視線を落とす。
まだ起きる気配はないけれど、もし運んでる最中にでも目を覚まされたら危険だ。
取っ組み合いに持ち込まれたら、体格差からして……確実に負ける。
意識してゆっくりと深呼吸をし、唇を引き結んだ。
もしもの時に動きやすいよう、袋とロッドを静かに置いてあたしは足を踏み出した。
緊張で逸る鼓動を耳元で聞きながら、地に伏す兵士に慎重ににじり寄る。
一歩。兵士は微動だにしない。
二歩、三歩。まだ大丈夫。
四歩。見えてきた顔は苦しそうに瞼を閉じたままだ。
そして、五歩目を踏み出した時だった。