オルゴールは回る
(わぁ……綺麗な夜空……)
完全に夜の帳が下り、紺碧よりもなお深い夜空と銀に輝く星が、路上に立ち止まるあたしを見下ろす。
それらは、先程の夢で見たあの双角の武将が持つ色と同じで、そのコントラストに目を細める。
不思議と、追懐した時のような懐かしさが何処からか込み上げた。
(見た事も会った事も無い筈なのに、なんでかな?
なんだか、すごく懐かしい……)
空にちりばめられた星を眺め、夜闇のスクリーンにあの雄々しい姿を思い描く。
銀白の髪、青黒い肌、雄牛のような一対の角を持ち、身の丈三メートルにも達する長身の体躯を甲冑で包んでいた。
確か、アスラという名の、人ではない武将。
(そういえば……あの夢、何なんだろ……)
似たような夢なら、これまでに何度も見た覚えはある。
しかし、見た覚えはあれど、どんな内容だったかは大抵すぐに忘れてしまって、記憶に留まる事など無いに等しかった。
それが今回に限って、何故だかやけに鮮明に覚えている。
殺し合う異形の者たち、アスラと呼んでいた友でもある武将。
そして―――金髪と金の瞳を持つルネアスと呼ばれていた"あたし"。
耳が尖っていたり、髪色も瞳の色も違っていたが、あれは確かに"あたし"だった。
夢は、所詮夢なのだと思う。
どんなにリアリティがあろうと、それも結局は私が思い描いた空想の一つに過ぎないのだ。
でも、あの夢は……あの夢だけは、何故かその言葉で片付けられるようなものではない気がした。
(なんで、夢の中の"あたし"はあんなに苦しそうだったんだろ…)
悲しいと、心が叫んでいた。
争いを嘆き、悲しみ、そして半ば世界に絶望していた。
見上げた先で、連なる屋根から覗いた月が淡く輝いている。
夢の中の"あたし"と同じ、淡い金色。
伝えたいのに伝える事を許されず、為す術もなくただ見つめていた"あたし"と同じ色。
(……伝えたい事って、何だったんだろう……)
――コツン。
不意に、背後から足音が聞こえた。
その音にあたしが振り返るよりも早く、熱と衝撃が身体を貫き、街頭に照らされた視界が一瞬鮮やかな紅に染まる。
遅れてやって来た激痛に顔が歪む。
訳もわからず、自分の身体を見下ろした先に見えたのは……胸から突き出た、赤い切っ先。
(あ……コレ、は……)
見覚えのある光景だった。
赤い何かに濡れてぬらぬらと光るそれが、記憶の中の刃と重なる。
ああ、あたし……刺されてるんだ。
そう理解した途端、口内に鉄の味が広がり、ゴポリとあふれる。
唇から雫が伝う嫌な感触がした。
「はは……ハハハ……っ。アハハハハハハハハッ!!」
誰かの狂ったような笑い声が耳を打った直後、唐突に身体に埋まっていた刃物が抜かれた。
かと思いきや、くずおれそうになる身体に再び深く突き刺さる。
間髪入れずに、その律動は幾度も幾度も繰り返され、その度に衝撃が身体を貫く。
あまりの速さと痛みに、声も上げられない。
やがて、感覚が麻痺してきた頃、ようやく刃を引き抜かれる。
それに支えられて辛うじて立っていた身体が支えを失い、自身の体重を支え切れずに路上に倒れた。
ジワリ、と灰色のコンクリートに紅が広がる。
急速にその大きさを増す赤い水溜まりが、あたしが負った傷の深さを物語っていた。
けれど、不思議に思うほど全く痛みを感じない……否、"感じられなくなった"と言うべきなのか。
それは手足だけでなく、舌にも鼻にも耳にも何も感じられず、既に五感の殆どが沈黙してしまっていて、考えるまでもなく絶望的な状況だった。
けれど、それを分かっていながら、それでもあたしは諦められなかった。
諦めきれなかった。
(……ま、だ……ダメ……)
まだ死ねない、まだ死んではいけない。
あたしはやらなきゃいけない事が……やりたい事があるんだから。
上手く息も吸えぬまま、感覚のない腕に力を込めようとしたが、意思に反して身体は動かない。
ただ時折痙攣を起こすばかりで、指先すら満足に動かせなくて、悔しさと諦めが胸を過ぎる。
それでも、懸命に力を振り絞ろうと足掻いて、もがいて。
しかし結局何も出来ないまま、いつしか呼吸するだけで精一杯になっていた。
為す術もないなんて……そう心中で歯がみすれば、涙が滲んだ。
耳が機能しなくなったせいか、周りは不気味なほどに静まり返っている。
あたしを刺した"誰か"の存在すら感じない。
それは、まるで此処だけが時間から切り離され、取り残されたかのようで、言い様のない孤独感が津波のように押し寄せた。