オルゴールは回る
自分自身に怒りさえ覚えた時、「退いた退いた!」と大声が響いた。
咄嗟にその声に従えば、開けた道を担架が通り過ぎて行く。
担架に乗っていたのは、二十歳にもなっていないであろう少年兵だった。
彼のそばかすが浮く顔は蒼白で、肩と脚からおびただしい量の血を流して呻いている。
ドクン、と不穏な鼓動を刻んだ心臓を服の上から押さえ、救護テントに運び込まれる担架を見送った。
にわかに天幕の中が騒がしくなる、きっと彼の治療を始めたのだろう。
出血のせいであまりよくは見えなかったが、多分あれは銃創で、しかも相当の深手である事くらいはあたしにもわかった。
そして……あの出血では命が危ない事も。
カタカタと服の胸元を握り締めた手が震えた。
少年兵の姿が、誰かの姿に――ルカに、イリアに、スパーダに、と次々と重なる。
血塗れで横たわる彼らの姿が脳裏に浮かび、その想像に心臓が縮み上がった。
でも、この想像が現実になる可能性だって無くもないのだ。
恐らく最前線に放り込まれたであろう彼らが、あんな大怪我を負う可能性は高い。
けれど、そんな重傷を負った彼らがこの陣営まで無事に戻れる保証も、戻れたとしても助かる保証だって何処にもない。
(……いや……っ)
恐怖が背中を這い上る。
嫌な想像ばかりが頭を過ぎり、瞼の裏にこびりついて離れない。
まただ、またあたしは失うのか。
(いやだ……っ!もう……もう、失いたくないっ!)
込み上げる涙をそのままに、あたしは居ても立ってもいられずに走り出した。
一拍遅れて気付いたチトセがあたしを呼ぶ声が聞こえたが、どうしても止まる気にはなれなかった。
心の片隅で彼女に謝罪しながら、テントとテントの間を縫うように走り抜ける。
(このままアルカに向かえば、きっと何の不自由もなく暮らしていける。
もしかしたら……家にだって、帰れるかもしれない)
確実で、堅実な道を辿れる……でも、今はそんな事はどうでもよかった。
ただ、不安だった。ただ、心配だった。
漠然とした不安と恐怖に押し潰されそうで、つき動かされるままに走る。
脳裏に思い浮かぶのは、数回しか見ていない三人の笑顔。
あの笑顔を失いたくない。
一目でもいい、彼らの無事な姿を確認したかった。
その思いだけを胸に、労いの言葉をかけてくれた見張りの横を通り抜け、立ち並ぶ天幕の一つへと駆け込んだ。
心配で急く気持ちを押し殺しながら、彼らが必要としそうな物を、尚且つ邪魔にならない量に収まるよう集めていく。
薬やグミ、保存食、そして水が入っていた水筒らしき筒に、偶然見つけた地図や、マッチなどが入ったサバイバルキットのような一式を荷袋に放り込む。
あまり気は進まなかったが武器庫も一通り見て回り、ダガーよりも小さなナイフ二本とロッド(棍とも言う)、それと丈の長い薄茶色のマントをお借りする事にした。
このマントで兵士の目を誤魔化せればいいのだけれど、もし出くわして戦わなければならなくなったら……これで何とかするしかない。
数年前に両親の勧めで合気道と棒術は習ったが、あくまで一般人相手の護身術レベルだから正直兵士相手に勝てる気はしない。
ナイフは出来る限り使いたくはないし……兵士に見つからないよう祈っておこう。
(……これくらいかな)
ナイフを鞘に納めて二つ目の荷袋に放り込み、マントを羽織って止め金を留める。
これで準備は完了だ。
二つの袋とロッドを片手に天幕を捲って潜り出て、そそくさと基地から死角になる天幕の裏に回った。
基地をぐるりと満遍なく囲む鉄条網は高いが……ここ以外に抜け出せそうな場所はないから、何とか飛び越える他ない。
思い切って鉄柵の向こうへと、袋とロッドを投げる。
ちょうど草地に落ちてくれたお陰であまり音も立たず、助かった。
さて、荷物は上手くいったが、あたし自身が飛び越えられなければ意味がない。
腹を括って深呼吸をし、出来る限り後ろへと下がって助走を開始する。
(せーの!)
心の中の掛け声と共に思い切り地面を蹴りつけ、跳ぶ。
宙を跳ぶ最中、一瞬見えた大地や鉄条網を遠く感じた。
(あれ?あたし、こんなに高く跳べたっけ……?)
鉄条網の上を優に飛び越え、基地の外に難なく着地成功。
マントを引っ掛けないか、いやそもそも飛び越えられるかさえ心配していたが、杞憂に終わったようだ。
あたしが思ったよりも鉄条網が低かったのではなく、あたしの身体能力が劇的に向上していたからこそ出来た芸当なのだろう。
恐らくそれがなければ、無残に鉄条網にぶつかって終わっていたんじゃなかろうか……我ながら無謀だったと思うが、とりあえず上手くいったのだから結果オーライって事にしておこう。
前触れもなく身体能力が向上していた理由については全くわからない。
でも、今のあたしには好都合だ。
(……とりあえず、基地からは無事に抜け出せたし、考えるのは後回しかな)
ひとまず第一の関門をクリアした事に安堵の息を吐き、立ち上がった。
服に付いた木の葉を払い、袋とロッドを拾い上げる。
そして、ゆっくりと基地を振り返った。
チトセや救護班の人達、本来であれば失敬した物品等を使う筈だった人達がいる基地。
込み上げる罪悪感と心苦しさに、顔が歪む。
暫く基地を見つめた後、あたしは身体ごと向き直って一度だけ基地に−−基地にいる人々に向けて頭を下げた。
(ごめんね、チトセ。すみません、班長、救護班の皆さん。
ごめんなさい、患者の皆さん)
確認したら、すぐに戻りますから。
そう心の中で付け加えて区切りをつけ、キッと顔を上げた。
(……行かなくちゃ)
基地に背を向け、森の中へと走り出す。
もう振り向かずに、ただ前だけを向いて。
昼なお暗い森林が、あたしの身体を呑み込んだ。
to be continue...