DQ5お試し連載B
"死"は、いつだって身近な場所にあったけれど、それが今ほど自分の身に迫り来るのを感じた時はない。
いつだって、他人事のように思っていた。
頭で理解はしていても、心で感じる事など無いに等しかった。
だから、知らなかった。
"死"がこんなにも恐怖を伴うものだなんて、知りもしなかったんだ。
知ろうとも、しなかったから。
【DQ5お試し連載・おやゆび冒険記B】
ヤバい、ヤバいヤバいヤバい!!
草の隙間を縫うように走りながら、後方に耳を傾ける。
途切れる事なく聞こえる、ガサガサと草を掻き分け、確かにこちらに向かってくる音を捉えて、あたしは内心で何度目かもわからない悲鳴をあげた。
(もう勘弁してよ――――っ!!!)
先程遭遇してしまった鉄仮面の怪物は、未だに執拗に追いかけてくる。
撒こうとして草の群生地に飛び込んだのだが、鉄仮面は諦める気配はないらしい。
っていうか、なんであたしの位置が分かんだよ!!
無駄にデカい草を利用して隠れようとしたのに、追いかけてこられたら意味ないじゃないか!
半泣きになりながら『それ』との距離を気にしつつ、疲労を訴える足に鞭を打って走る。
しかし、本格的に痛み始めた脚に限界が近い事がわかる。
(くっそ、人生初で最大の危機かもしれない。
いや、"かもしれない"じゃなくて、きっとそうだ!)
誰に対する悪態かも分からぬ文句を心中で吐き捨てる一方で、何かこの状況から抜け出す手はないかと考えるが、悔しい事に一向に打開策は浮かばない。
ジリジリと焦げるような焦りを感じつつ、周囲に視線を走らせる。
と、その時ふと木の根元に小さなウロを発見し、一か八かに賭けてそこに潜り込んだ。
出来るだけ荒い呼吸を静め、バクバクと脈打つ心臓を服の上から押さえて、見つからないようにひたすら身を潜める。
聞き耳を立てて外の様子を伺うと、あたしを探しているのか、聞こえる草の擦れ合う音は途切れない。
息苦しさを覚えながらも、咳き込みそうになるのを堪え、祈るような気持ちで光が差し込む隙間を見つめていた。
どれくらい、そうしていただろう。
不意に、ガサガサと草の揺れる音が遠ざかっていき、やがて静かになった。
外界が元の静けさを取り戻して数分後、完全に『あれ』が離れたのだと判り、あたしはようやく深い安堵の息を吐き出した。
「た、助かったぁ……」
緊張の糸が切れて、思わずへたりとその場に座り込んでしまう。
未だに微かに震える両腕を抱き締めたら、何故か『あれ』の事を思い出してしまい、あたしはブルリと震えた。
(さっきの『あれ』…何だったの…っ?)
普通、無機物は動かない。
いや、そもそも生物でない物が動く事が有り得ないのだ。
それにも拘らず、『あれ』は動いていた。
けれど、誰かが動かしてるような感じではなかったし、何よりも『あれ』は確かなる意思を持って動いていた。
明確な敵意や殺意ではなかったと、思う。
いや、そんな複雑なものではなくて、もっと簡単な――そう、まるで捕食者が獲物を見つけた時のようなものだった。
空洞の闇に光る炎が思い起こされ、ゾクリと悪寒が駆け抜ける。
カタカタと震え出した身体を強く抱き締め、俯く。
汗と冷や汗が混じり合った液体が顎を伝い落ちて、ぽたりとスカートに染みを作った。
……怖かった。
今までに感じた事のない程の恐怖だった。"死"への恐怖、見た事も聞いた事もない怪物への恐怖だけじゃない。
この巨大な森も、自分がここにいる理由や経緯すらも。
自分自身以外の何もかもが不透明で、不明瞭で、怖かった。
「…っ……」
滲み始めた視界に気付き、強く固く目を閉じる。
瞼の裏に、そんなに時間は経っていない筈なのに、既に懐かしく感じる家族や友人たちの姿が、次々と浮かんでは消えていく。
あの平凡で平和な、閉ざされた世界が懐かしくて、心が痛かった。
「………かえり、たいなぁ…」
「ピキー?」
……………………。
んん?
何か今、やけに高くて変な鳴き声が聞こえたような…?
気のせいであって欲しいと願いながら、嫌な予感に後押しされて恐る恐る目を開くと、そこには―――
「ピキキー?」
あたしよりも少し大きい、かの有名な青いプニプニ雑魚モンスター、『スライム』の姿が。
思考停止、ついでに全ての動作も停止。
目を見開いたまま凍り付いたあたしを、『スライム』のやたらとつぶらな瞳がのぞき込む。
正気を保っていられたのは、そこまでだった。
どこか遠くでブツリと何かが切れた音と共に、全ての五感が機能を放棄する。
遠のく意識の端っこで、これが夢である事を願いながら、あたしは乳白色の闇に落ちていった。
(ただの悪い夢なのだと、思いたかった)
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