きっと夢中にさせるから


高校一年生の冬のこと。
産休に入った養護教諭の代わりの保健室の先生として 、彼はこの学校へやってきた。
明智光秀先生。20代後半だという彼は、今年の春まで大学の教育学部に在籍していたらしい。
そんな彼に、生徒として一番最初に出会ったのは 多分私だと思う。
変わり映えしない日常に飽き飽きしていたあの頃の私は、頻繁に学校をサボって遊び回っていて、ちょうどその日も朝のHRが終わってすぐに、こっそりと教室を抜け出したところだった。
いつも通り教師に見つかること無く昇降口を出て、裏門に繋がる駐車場へ差し掛かった───その時。

私と光秀先生は、対峙した。


透き通るような白い肌に、造りの細かい端正な顔立ち。白銀色の長い髪を後ろで一つに括り、黒い外套とスーツに細身の体を包んで 彼はやってきた。
最初は、その見た目の美しさに心を奪われた。

彼は、彼に見惚れて呆然と立ち尽くす私に気づき、人の良い笑みを浮かべて私に声を掛けてきた。

「すみません、職員室はどちらですか?」

鼓膜を震わせるテノールに、胸が高鳴る。

「お、奥の棟の、二階です…」
「そうですか、ありがとうございます。」

では、そう言って彼は私に軽く会釈し 再び歩き始めた。
(あ、行っちゃう…)

こんなに胸が高鳴る相手に出会ったのは初めてだった。このまま彼と別れてしまったら 折角出来た縁を逃してしまう気がする。そう思ったときには、私の身体はもう既に動いていた。

「────っ」

虚を突かれた彼が、やや目を見開いて振り返る。
私が彼の外套を掴んだからだ。

「あ、案内しますっ」
「おや?貴女は、今から帰るところなのでは」
「良いんです!」

上擦った声でそう断言し、私はぎゅっと目を瞑った。今私は、顔から火が出そうだという言葉を体感している。もっと一緒にいたいからと 初対面の、大人の男性を引き留めるその行為は、私にとってそれくらい恥ずかしいものだった。それでも 今動かなきゃきっと私は後悔する、その思いが私を突き動かすのをやめない。

ややあって 彼がクス、と笑った。
(笑われちゃった…?)

恐る恐る目を開けると、優しく微笑む彼と目が合う。
(わ、綺麗…)

「では お願いします。」

穏やかな口調でそう言って頭を下げた彼に、私はもうすっかり心を奪われていた。
人生で初めての一目惚れであり、初恋だった。






そして────────、今に至る。


あれから数日後 全校集会で彼が臨時の養護教諭だと知った私は、その日から一日も休まず 毎日保健室に通った。授業をサボって保健室に訪れようとする私に、彼、光秀先生は「真面目に授業を受けない子供は嫌いです。」と冷たく言い放ち、その言葉にショックを受けた私は、ちゃんと授業に出るようになった。そして毎日必ず 放課後に保健室を訪れるようになった。
それは一年と少しの時が経ち、高校三年生になった今でも続いている。(因みに産休を取った元の養護教諭は、昨年無事に元気な女の子を出産し そのまま育休に突入した。おめでとうございます、そしてありがとうございます先生!)

「光秀先生、失礼します!」

今日も元気良く引き戸を開き、保健室に突入する。
そこにはいつも通り、窓際の机で書き物をする光秀先生の姿があった。私の姿を視認すると、光秀先生は形の良い眉を吊り上げる。

「保健室に入るときはノック。…ですよ。」
「へへ、すみません。」

笑いながら肩を竦めると、光秀先生がふと小さく鼻を鳴らす。そしていつも通り、ペンを置いて席を立ち 緩やかな動作でコーヒーの準備をしてくれた。

「ブラックでお願いします!」

胸を張ってそうリクエストすると、光秀先生はきょとんとした顔で手を止める。何か 変なことを言っただろうか。

「『ミルク多め砂糖多めで』じゃないんですか?」
「え?ああ、それはもうやめたんです。」
「何故?」
「なぜって…」

正直気分で言ってみただけなのに、意外にも言及されて驚いた。でも、普段アプローチしても何気なくかわされてしまうから 私に興味を持ってもらえたようで嬉しい。そう考えているうちにふと 良いことを思いついて、私は含み笑いをした。そして、つんとすました顔で思いついたことを言い放つ。


「そんな事言ってたら、いつまでも光秀先生に子供扱いされたままですから。」

私は先生に、異性として見てもらいたいんです!
以前子供呼ばわりされたことを実は未だに根に持っているというのは、本人には内緒だ。
不敵に笑って光秀先生を見つめると、彼は一瞬目を見開いて すぐに「何を言うかと思えば、」と砂糖の瓶に手を掛けた。

「まだ貴女には早いですよ。」

そう言うと、私専用のマグカップに 角砂糖、続いて牛乳が容赦なくどばどばと投入される。

「ああぁ」

思わず情けない声を上げれば、コーヒーもといカフェオレをかき混ぜながら 光秀先生が呆れた顔をする。

「貴女はこれが好きでしょう?」
「でも、私 光秀先生に…」

差し出されたマグカップ受け取りながら、「恋愛対象として見てもらいたいんだもん…」と小さく呟く。気分で言った言葉が発端とは言え、ここまでオコサマ扱いを受けると流石に傷付くものだ。

そんな私を見て、光秀先生が口端に意地の悪い笑みを浮かべる。

「恋愛対象、ね…」
「光秀先生?」

クク、と喉の奥で笑う光秀先生を訝しげに見つめる。すると 不意に光秀先生が腰を屈め、私の頬にキスをした。

「えっ、…えっ!?」

唇が触れた場所に 熱が集まる。思わず手のひらでそこを覆うと、光秀先生はそのまま唇を耳元に移し、小さく低い声で囁いた。

「私のモノになると、大変ですよ」
「っ!」

吐息混じりの艶っぽい声に、心臓が壊れそうな程暴れる。呆然としていると、光秀先生は私の肩をぽんと叩いて、私から離れていった。


「フフ、貴女はもう少し可愛い子供でいなさい。」



ああ、私はこんなにどきどきしてるのに、先生はあまりにも余裕で。
(、悔しい。)

「…きっと夢中にさせるから!」
「それはそれは。楽しみにしていますよ」


私の高らかな宣言に、光秀先生が愉快そうに笑う。
マグカップのカフェオレをひとくち喉に流し込むと、温くなったそれはとろけそうな程に甘かった。











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