そうして満たされていければいい


比奈子さんの家に上がるのは、これで三度目だった。
絨毯が前より暖かそうなものになってたり、膝掛けがソファの隅に置いてあったりして、時間の流れを感じた。
部屋が少しずつ変わってきてるし、オレと比奈子さんの間にあるものも少しずつ変わってきてると、思う。オレの気持ちがもしかしたら重荷になってるのかもしれないとか、たまに不安にはなるけど。それでもあの時言ったことは全部本心だし、今日言ったことも本心だ。
そんなことを考えていると、お盆を持った比奈子さんがくる。皿が一つと湯飲みが二つ、湯気をあげていた。

「緑茶でよかった?」
「はい。あざっす」

コースターのうえに湯飲みをおいてから、比奈子さんはせんべいを盛った木皿を置く。そしてオレの隣に座って、お盆をテーブルの隅においた。その一連の動作を、なんとなく目で追う。
この時期になると手が荒れてくると比奈子さんはぼやいていたけど、オレからすればすげーきれいだと思う。マメもなければ日焼けもしていない。きれいで、白い。
そう思いながらお茶を一口啜って、比奈子さんの顔をみる。比奈子さんは両手で包むように湯飲みを持って、ゆっくりとお茶を飲んでいた。 そして飲み込むと息をついて、柔らかい唇を動かした。

「…夫が、死んだって話したでしょう?」
「…はい」

比奈子さんの旦那さん。名前は知らない。ただ、あの飾られた写真をみる限り、優しくて穏やかそうな人だと思った。
オレとは正反対そうだ、とも。
比奈子さんはその写真の中の旦那さんを見つめたあと、俯いた。湯飲みの中のお茶を、じっと見ながら…今度は重たそうに口を開いた。

「それから私は、ずっと…あの人のことを引きずってて…ああ、私はあの人と逝きたかったんだなって、気づいてしまったの」
「……死にたいって、ことですか」

それをどうオブラートに包めばいいか分からなくて。でも核を突かなきゃこの人は、これ以上をさらけ出さないと思った。
どストレートなオレの言葉に、比奈子さんは困ったように笑った。相変わらず、目線は湯飲みの中だ。

「少なくとも、夫が亡くなってすぐは、そうだったわ。…今は、…どうかしら。…私、すごく周囲の人に、恵まれたと思っているの。みんな優しくて。だから、あの人を追って死にたいって思って死んだらその優しさを裏切るようだし、あの人にも叱られてしまうと、思ってるの。…今はね」

それを聞いて少し、安心した。死にたい、を肯定されたら、オレはどうしていいか分からなくなってた。ただ、みっともなく死なないでくれって縋っちまいそうだと思った。

「それにね…そういう後ろめたいことを考えると、…黒田くんを思い出すようになって…」
「…え?」

予想してなかった言葉に、思わず聞き返す。
比奈子さんはオレのほうを見て、微笑んだ。少し泣き出しそうな、微笑だった。

「…君と私が思ってた以上に、救われてるみたいなの。黒田くんに」
「…っ」

話を聞きたい、もっと知りたい。この人の悲しみを少しでも和らげたい。この人に寄り添ってもらえるように、なりたい。
そんなことを思ってたオレからすれば、比奈子さんのその言葉がとっても響いて。オレのほうが、泣き出しそうになった。

「…比奈子さん」
「うん?」
「抱きしめても、いいっスか?」

すげぇ情けない声だった。顔もたぶん、やべぇ。
比奈子さんはそんなオレにそっと笑って、湯飲みをコースターのうえにおいた。

「…お願いします、黒田くん」

そういって初めて、この人はオレを受け入れる姿勢を見せた。ほんの少し、目に涙を浮かべながら。
それだけで満たされて、救いたいと思ってたのに救われたようになったのは、オレだ。正確に言えば、報われた、だけど。
そんなのはその時どうでもよくて、比奈子さんに抱きついて、思い切り抱きしめた。
ほっそい体と、丸みを帯びた肩。柔らかい腰、頬に当たるさらさらな髪。
オレの背中に、比奈子さんが初めて手を回した。ぎゅってさらに力込めれば、比奈子さんはオレの方に顔を向けて、オレの耳元に唇を寄せた。

「…ありがとう、黒田くん。…私、黒田くんと、出会えてよかった…」

震えてる声でそんなことを言われたから、唇を噛み締めた。
オレが少しだけ泣いたことを、比奈子さんは気づいてたと思う。ただなにも言わずに、オレの背中に回した手に力を込めて抱きしめ返してくれたから、それだけでオレは十分だと、思えた。




20140512

 

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