シオンは徹底的に東堂を避け、拒絶した。何度東堂が接触を試みようとしても女子トイレに逃げ込むなどして避け、関わりを断った。東堂は諦めこそしなかったが、ショックを受けているようで、どうしていいかは分かっていないようだった。それでもシオンと話をしなければと思っているようで、接触だけは試みてくるのだ。
シオンはそれに苛立った。

(もう関わってこないでよ)

東堂尽八という人間に抱いた恐れは、シオンのいやな記憶を思い出させた。


それはまだ東京で母親と生活していた頃の話。
その時、シオンは中学生だった。そのときも普通の人間のふりをしていた。「あんていく」という喫茶店の「芳村さん」に食料を提供してもらい、慎ましく暮らしていた。
人を狩ったことはなかったが、「四方さん」からいざというときのためにと戦い方を教わっていた。赫子の扱い方や身のこなしなどは、四方から全て教わっていたが積極的に使うことはなく、本当に普通の女子中学生のようにしていた。だからそのときは友人がそれなりにいた。仲のいい友達だっていた。そしてその友達に、喰種だと知られてしまい、対策局に告げられた。
迂闊だった。ほかの喰種の喰い場に通りかかったときに争いになりかけ、赫子を出して逃げた。それがその友人の住むマンションの近くだというのを失念していたシオンは、その場を見られた。
結果追われ、芳村や四方の手を借りて24区に身を潜めながら東京をでようとした際、24区を探索していた局の人間に見つかってしまい、母親はシオンを逃がすために犠牲になった。

友達を作ってしまった自分と、迂闊だった自分をシオンは呪った。
同時に、人間は汚いとも思った。
友達だと思っていたのに…そう思った。
それでも、シオンは人間を憎みきれなかった。だからこうやって、名前を変えて日々細心の注意を払いながら高校生を演じている。

矛盾している自覚はある。
大人しくしていなければいけないのに、また普通の人間のふりをして危ない架け橋を渡るような生活をしている。もう人間は喋る餌だと割り切った方が楽だと割り切ろうとしても、それができない。かといってまた前のように人と積極的に関わろうとするわけではない。半端な状態だ。
そこに東堂が関わってあんなことを言われ、自分を守るためにシオンは東堂をも拒んだ。しかし、それも矛盾しているのだ。本当に自己防衛をしなければと思っていたなら、最初から東堂を拒むべきだったのだ。だがそれをせず、微妙な関係を続けていたのだ。それがなぜか分からないほど、シオンは疎くはなかったが、認められるほど余裕があるわけでもなかった。

「…ちくしょ…っ」

トイレでジャムパンを吐きながら、シオンは「認めがたいこと」を胸の奥に押し込んだ。



その日、東堂は夜に一人で箱根の山道を登っていた。
福富や新開に不調を指摘、案じられた。荒北も言葉は悪かったが、心配しているようだった。原因が何か分かっているが、解決方法が分からない。そして不調でできなかった分を取り戻すためと、少しでも自分の思考と精神を落ち着かせるために山を登った。
夜、といってもこの季節の時間帯はまだ明るい。が、帰る頃には日が沈むだろう。しかし夜の箱根は何度か登ったことがある。だから大丈夫なはずだった。…たった一つのイレギュラーを除いて。

(な、なぜだ!どうしてだ?!)

東堂は全力で下り坂をくだっていた。とにかく、人のいる方へ。街へ向かわなければと。恐怖と動揺でいつも以上に心臓は激しく刻み、全身にいやな汗をかいた。それらを意識しても、東堂は前だけ見つめてただひたすらペダルを回した。今は暗い。静かにペダルを回す自分のスタイルならうまく逃げ切れるかもしれない…そう自身に言い聞かせ、平静を保とうとしていた東堂の目の前に、

「ばぁか、逃がすかよ」

あざ笑うかのように、目だし帽を被った男が立ちふさがる。衝突する前に大きくそれてコースを変えて脇を抜けようとしたが、男の腰あたりから生えたザラザラとした触手のようなものが東堂の体をつかみあげた。そして、ギリギリと締め上げ始めるのだ。

「ぐっ…か、はっ…!」
「ああ、久々の生きた人間だ。せっかくだからもっとなぶって…」

ブツブツ言いながら触手…鱗赫の赫子で東堂をアスファルトに叩きつけた喰種。ヘルメットを被っていなければ、頭をもろに強打しただろう。しかし頭部に衝撃は伝わるうえ、叩きつけられた全身の痛みに東堂はむせた。
そんな東堂を見ながら、目だし帽の男はよだれをだらりと垂らした。赫眼は、東堂のどこが一番うまそうかを探るような動きをしている。その様子に東堂は、本能的な嫌悪を覚えた。捕食者に対する、ものである。
喰種に出会ったのも、狙われたのもこれが初めてだった。以前学校であった、護身講座でたしか対策局の人が来て喰種に出会ったらどうすればいいかを教えてくれたのだが、混乱に陥った東堂にそれを思い出す余裕はなかった。

しかし…混乱こそしてはいるが、東堂はどこかで理解もしていた。
場所は夜の箱根。
人通りもなく、携帯で対策局に電話する余裕もない。
自転車で全速力で坂を下っても、追いついてきた喰種。それ相手に逃げられるかと言われたら、答えは「不可能」だ。

(…まさかインターハイ前に、巻ちゃんと決着をつける前に…こんな風に、なるなんて)

ライバルを思い出す。そういえば彼は自分が悩んでいると電話ごしに気づき、彼なりに言葉をかけてくれた。そして、部活の仲間を思い出す。
悩みのことは深くはきかなかったが、お前なら乗り越えられるだろうと激励をくれた福富。
何に悩んでるか見抜いた上で、おめさんならまたあの子と一緒に話せるようになると言ってくれた新開。
あえて何にも触れずに、不調で大人しいテメェは気持ち悪ィからさっさとなんとかしろヨと、遠まわしに励ましてくれたのは荒北。
そして後輩や同い年の部員。今年のインターハイ。

(…すまん、みんな…巻ちゃん)

そして、もう一人。華奢な背中を思い出す。
寂しそうで折れてしまいそうな背中と、焦げ茶色の髪のショートカット。名前を呼べば、またジャムパンだけを食べていて、東堂を見るとうっとしそうにしつつも答えてくれる。

(…シオン…オレは、お前に謝っておきたかった)

自分がシオンの「踏み込まれたくない領域」に踏み込んだと気づいたのは、彼女がありったけの拒絶を吐き出す直前だった。
東堂を見る目には恐れがあり、しかし…その表情はどこか寂しさを漂わせていた。
土足で踏み込んでしまってから、自分を避けるようになったシオン。
できうるなら関係の修復を望んでいたが、できそうにない・シオンがそれを望まないのなら、せめて謝りたかった。

(それから…)

シオンへの感情を心の中で形にしようとしたとき、あのザラザラとした触手のようなものが、東堂へと向かってきた。
終わる…東堂は、そう確信したのだが。

「ぐぁっ?!」

突如、目だし帽の男が倒れ、触手のようなものは引っ込められ、それを使って男は受け身をとった。何が起こったのか見えなかった東堂の前に、黒い服、黒い…猫の仮面を被った細身の人がいた。
…否、人ではなかった。尻の辺りから黒々とした尾のようなものがでている。
新手の、喰種だった。
黒猫の喰種が、目だし帽の喰種を攻撃したらしい。ゆらっと揺れている尾のようなもの…尾赫が血に濡れていた。

「ッテ、メェ…何しやがる?!」

目だし帽の喰種は、黒猫喰種に怒鳴りながら再び襲いかかった。しかし、黒猫喰種は身動ぎひとつしない。それがまた、目だし帽の喰種の怒りを煽ったようだ。

「こちとらひさしぶりの肉なんだよぉおおおおお!!」

怒鳴り散らし、鱗赫を出しながら突っ込んでくる目だし帽の喰種。黒猫はそのまま佇んだまま、ずるりと、他の尾赫をだした。猫の仮面なのに、出した尾赫の数は、ーー9本。



尾赫は、赫子の中でも安定感がある。中、近距離戦向けでこれといった弱点はないが、強いて言えば「決定打」が欠ける。しかし、目だし帽の男の鱗赫との相性がいい。鱗赫はその性質上、簡単に言えば力押しをしてくるタイプだ。そしてそういった類は、堅実で安定感のあるものに弱く…つまり、尾赫の喰種相手だと不利だ。尾赫のRc細胞は、鱗赫にとって毒に等しい。
そして、黒猫喰種はその尾赫が9本あり、それは容赦なく目だし帽の喰種へと叩き込まれた。
決定打が欠けるとはいえ、9本もあるそれで豪雨のような攻撃を受ければ、それは決定打になりうる。特に、鱗赫の喰種にとっては。

あっという間に、鱗赫の喰種はぴくりとも動かなくなった。
その一方的な殺戮を目の当たりにしてしまった東堂は、呆然とした。目だし帽の喰種がもっとミンチのようにされていたら、さすがに吐いていたかもしれない。しかし、原型を留めた状態であったのは不幸中の幸いか。ただ、震えは止まらなかったうえ、これは新手の喰種が現れたに過ぎないのだ。以前、東堂の命が危ないのは変わりない。
黒猫喰種は、尾赫をすっと消していく。だが、一本を残していた。東堂には、それだけでいいということだろうか。
ゆらりと一本の尾赫が動いたとき、あれは自分に向けられるのかと東堂が身構えた。が、尾赫は動かなくなった目だし帽の喰種を掴んだ。それは、東堂に向けられなかった。
黒猫喰種は東堂を一瞥する。
仮面越しだが、東堂はその喰種と目があったような気がした。
しかしそれは気がしたというだけであり、黒猫喰種はすぐに跳躍してその場から去っていった。

「…っ!ま、」

東堂の声は、箱根の山の闇に滲んで消えた。



翌日、Rc細胞を多分に孕み、赫子のもとともいえる赫包を「喰いちぎられた」目だし帽の喰種の死体が、箱根の喰種対策局前に打ち捨てられていたというニュースが、全国区のニュースとして取り上げられた。




20140404
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -