また夏がくる

暑くなってきた。夏はもう、近い。それはつまり、最後のインターハイが目前ということである。準備は進んでいて、福富たちも調子がよさそうだ。そのままモチベーションを維持できそうである。
もう片手で数えられるくらいの日数しかないが、倫子は落ち着いていられた。やはり福富たちを信じているからというのもあるが、三年目にもなればこの時点で緊張するなどしなくなる。元々、肝が据わっているのだからなおさらだ。
そして、今日は休みだ。もちろん、部員の中には調整として出ている者もいる。倫子は今日はそれにつき合わずに、自宅の部屋でゆっくり過ごしていた。クーラーによって適度に冷えた部屋。女の子らしい花柄のシーツが敷かれたベッドの上で横になり、ぬいぐるみを抱きながらぼーっとしていると、思い出すのは去年のインターハイだった。


二年生。選ばれた二年生は、福富だけだ。新開はうさ吉のことで辞退していた。もちろん、倫子もマネージャーとして帯同したのだが、二日目にイレギュラーすぎる事態が起きた。
福富が、総北高校の金城を巻き込んで落車した。それが事故ではなく、福富が「手を出した」のだという。誰もが驚愕したし、騒然とした。倫子も驚いた。
福富は倫子に消毒されながら、目を伏せて言った。

「…すまない」
「…っ!」

なんと返せばいいか分からず、倫子は福富を見つめるしかできなかった。 それでは責めてるようになると思い絆創膏を貼るふりをして、倫子は目をそらした。福富はそれ以上は言わず、治療が終わると腰を上げ、もう一度言った。

「…すまない」

そしてテントを出て行く福富。いつも頼もしく見える背中なのに、倫子は胸騒ぎを覚えた。

「っ…ふく、」
「久瀬!こっち手伝ってくれ!」

先輩に呼ばれ、返事をする。そしてまた福富の背中を探すが、人の波に紛れて見えなくなってしまった。倫子は後ろ髪が引かれるような思いをしながら、先輩のほうに向かう。

その数分後、誰かに殴られたと思しき福富が戻ってきたため、福富はまたテントに引っ張り込まれた。誰も深くは聞かなかった。倫子もなにも聞かなかったが、こんなに心身ともにボロボロな福富を見たことがなかった。

「福富…」

大丈夫?なんて口にできず、頬に消毒をする。しみたのか、鉄仮面が歪む。どんな言葉をかければいいのかなど浮かばず、絆創膏を取り出す手が震えてしまった。

「…久瀬」
「!な、なに…?」

福富を見れば、福富の目はさっきほど揺らいではいなかった。殴られてきたときに、何か見たのか聞いたのか。分からないが、さっきとは違っていた。

「少し、待たせることになるかもしれない」
「へ?え?」
「お前だけじゃない。みんなを、だ。…それでもオレはまた、ここに戻ってくる。だから、待たせることになると言った」
「……」

今日の出来事は、福富にとって色々な意味で衝撃的だったのだろう。詳しく聞き出していない倫子でも、それは分かった。ただ、まだ彼の納得のいく答えがでてないということだろう。

「…待つよ。必要なことがあれば、手伝うからだって私は、箱根学園自転車競技部のマネージャー、だよ」

ほんの少し、涙腺が熱を持った。堪えようとしたができず、溢れてきた。福富は倫子の頭にタオルを被せ、しばらくそばにいてくれた。



インターハイは、箱根学園の優勝だった。
そして、その大会で大きな衝撃を受けた男、福富寿一が主将に選ばれた。王者にあるまじき醜態をさらしたにも関わらず彼が主将に選ばれたのはそのストイックさと、ペナルティーをちゃんと受けたこと、それから…人望だった。癖の強い部員が多い箱根学園自転車競技部をまとめられるのは、福富くらいしかいないだろうと。
そしてその福富は早速、

「なぜ!フクが千葉に行くのを止めなかったのだ?!」

千葉県の総北高校自転車競技部に、謝りにいっていた。届を今日見たらしい副主将東堂は、倫子に食ってかかってきた。彼は、不安なんだろう。こちらが総北高校自転車競技部に被害を加えたも同然だから、殴り合いなどの騒動になるのでは、と。
荒北は「殴り込みかァ」と言っていたから、倫子はひっぱたいておいた。「いてェなブス!!」はスルーして、倫子は東堂に言う。

「福富がそんなことするわけないでしょ」
「あっちはそう思ってないかもしれん!」
「あら。あなたのライバル巻島くんがいる学校は、そんなに粗暴だったかしら」

東堂は言葉に詰まった。倫子はそれを見て、東堂から届を奪うとファイルにしまった。

「自転車乗れなくなるほどの怪我や乱闘なんてしたら、あっちにも不利でしょ。だから、大丈夫」

ひっぱたかれて文句を言っていた荒北だが、倫子の顔を見て黙った。

「それに約束したもの。福富は、約束を守るからね」
「……」

荒北は、インターハイのときに福富と倫子がどんな会話をしたか知らない。が、二人の間に強い信頼関係が芽生えていることは、いやでも分かった。少なくともそれに、荒北が入る余地はないだろうと言えるくらいには。

(…チッ)
「…てか、あんたたち!さっさと着替えてローラー回してきなさい!」
「は、話はまだ終わって、」
「終わりましたー!ほら、これからはあんたたちが後輩引っ張ってく番!」

東堂は背中を、荒北は肩を叩かれて促される。力加減など、ない。痛い痛いわめく二人を練習させ、倫子はため息をついた。


その日、ほんの少し怪我をして帰ってきた福富を迎え、「…お疲れ様」とだけ言った倫子。深くは聞かなくても、福富の顔を見れば何か得られたのは分かった。

「ああ。…ただいま」
「おかえりなさい、主将」

主将、と呼ばれて、福富の鉄仮面がさらに引き締まったようだ。以前は躊躇いのようなものを感じたが、今日彼は答えを見つけてきたらしい。
夏はまたやってくる。それまで時間があるようで、短い。やることはたくさんあるのに。そう思いながら髪を結ぼうと触れ、ふと倫子は思った。

(……伸ばしてみようかな、髪)

来年は、無事インターハイを終えられますように。




そういう願を掛けて倫子は髪を伸ばした。長さは、今では背中の真ん中くらいだ。ここまで伸ばしたのは初めてかもしれないと思いながら、倫子は回想をやめる。

倫子が髪を伸ばした理由。
それを知るのは、福富だけだった。




20150815

(11/11)
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