口にするのもおぞましい

箱根学園は山の中にあるといっても過言ではないような立地条件で、そのうえ来るときは登り坂なのである。登り大好きな真波くらいしか喜ばないであろう。幸いにして直通バスが出ているため、通学組はほとんどがバスを利用している。自転車競技部の帰宅組は自転車でいっているが、中には原付バイクで通っている者もいる。
山の中だと不便なのは交通だけではない。近所にコンビニもない。少し行かなければないので、弁当を忘れたりした日には寮組の熾烈な闘いが繰り広げられる購買や学生食堂に行かなければならない。ちなみに値段が高いがちゃんとしたご飯が食べられるのは学生食堂だが、各々の理由で金のない高校生は購買のパンに殺到する。
あとはほかにも掃除当番で外掃除のとき、秋や雨上がりは大変だとか。そういったもののほかに、虫がたくさんいるということだ。蝶々や蜻蛉くらいならかわいげはある。が、「そうでない部類」との遭遇率は高い。

「ふ、福富ぃ…!」

半泣きで部員が着替えている更衣室のドアを叩いている倫子は、「そうでない部類」の虫が大嫌いだった。
倫子の弱々しい声を受け、シャツを羽織るだけ羽織ってから扉をあける福富。いつもならちゃんと着ているが、非常事態にボタンを留める暇はない。倫子は扉を開けてくれた福富にしがみつく。見慣れた光景で部員たちはざわめかず、さっさと着替えたり、汗くさい!と言われる前にファブリーズを更衣室にかけていた。が、荒北だけはつまらなさそうに眉を寄せたため、見ていた新開は苦笑しつつため息をついた。
福富の体に顔を埋めるうにしながらしがみついてる倫子に、着替えながら真波が声をかける。

「久瀬さん、今日は何が出たんですかー?」
「……な、名前を呼んではいけない、あの虫…!」

どこかで聞いたような言い回しだが、それを聞いた東堂もたまらず嫌そうになる。東堂もその虫は苦手で、倫子と一緒でにげる側だ。

「…どこで、でたのだ?」
「部室!あそこで飲食禁止!!」

圧倒的に出没率が高いのは部室だった。部活前や部活後に、飲み食いしながらだべるからだろうか。それでも倫子が軽くだがほぼ毎日のように掃除したり、同じようにあれが苦手な東堂が協力しているため、最近は出没率は減ってきていた。
そのため、東堂と倫子は決めた。今日、バルサン焚いてやる、と。

「分かった。…待っていろ」

福富は倫子の頭を撫でてから離れ、部室へと向かう。その背中は頼もしく、強さを感じずにはいられなかった。

「頼むぞ、フク…!」

思わず東堂も念じていた。
倫子は未だあのおぞましい虫への嫌悪感を拭えないまま、部員たちに言い放つ。

「本当!部室で飲食やめて!するなら部室からでてして!」
「そりゃ厳しいな、マネージャー」
「パワーバー食べながら言わないで新開!」

難しいことを言っているのは分かっている。だからそこまでの強制力は滲ませてないのだが、大掃除のときに大量の奴らに遭遇するかもしれないと思うと今の時点でぞっとするのだ。

「ッハ!虫くらいでぴーぴーぎゃーぎゃー大げさだし、いちいち福ちゃんに世話かけんナヨ」
「荒北うるさい!あ、あんたは一年のときの、部室の大掃除の悲劇をしらないから、」
「やめろ、久瀬!オレまで思い出してしまう!」

同時にぶるっと震えた東堂と倫子。一年の大掃除のときに、「地獄絵図」を見たらしい二人は、掃除やあの虫に敏感になったと言っても過言ではない。

「福富に迷惑かけるなっていうならあんたがあれをどうにかしてよ!」
「オレが?イヤに決まってんだろ、バァカ」
「ムカつく!ヘタレ!」
「誰がヘタレだ、ブス!」
「まぁ、靖友。そんくらいにしとけって」
「久瀬さん、僕たちも気をつけますから」

新開は荒北の口に開けたばかりのパワーバーを突っ込み、泉田は倫子を宥める。紳士泉田は倫子の癒しなので、効果は絶大だった。…荒北はさらに不機嫌そうになったため、新開は二本目も突っ込んで黙らせることにした。荒北の嫉妬は傍目には分かりやすいがひたすら機嫌が悪くなるだけで、どこで発散するのかいまいち分からない。とにかく今は倫子の方を落ち着かせたかったので、物理的に黙らせる手段にでたのだ。

「本当?私がいなくなっても、ちゃんと徹底して掃除する?」
「もちろんです。いい環境でなければ、練習にだって支障をきたします」

生真面目に泉田が答えるが、正論だ。
部室や更衣室、トレーニングルームなどが綺麗なのは、倫子と副将東堂が中心となって掃除などを心がけているからだ。環境を整えるという意味でも、倫子はマネージャーとしての務めを果たしている。

「久瀬さんの努力を、僕たちは無駄にしません」
「泉田…!」

インターハイ前になぜか引退ムードである。
後輩の言葉に倫子が感動していると、退治を終えた福富が戻ってきた。

「終わったぞ、久瀬」
「っ…!ありがとう、福富!!」

福富を見て、心から安心したように表情を和らげる倫子。無理矢理突っ込まれた二本目のパワーバーを食べながら、不機嫌そうに目をそらす荒北。それを見て、新開は思った。

(…おめさん、いつになったら素直になんだよ、靖友)

オレたちもう三年だぞ、とは、心の中で言うだけにしておいた新開。今この状況で言っても、荒北の苛立ちを助長させるに過ぎないからだ。

そしてその日、決意通り部室にバルサンが焚かれた。が、次の日に一番にきた倫子は数匹のあれらの死体を目にして、半泣きで部室の前で福富や新開、泉田など奴らの処理ができる部員が来るのを待っていたという。




20140323
(5/11)
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