ある日の一匹狼と

久瀬倫子は大量の洗濯物…タオルが入ったカゴを抱えて、移動していた。外周から帰ってくる部員たちへのドリンク作りを終え、倫子は雑務にとりかかっていた。サイコンの回収など記録は今日はもう一人のマネージャーがやるため、気兼ねなく干せる。
箱根学園自転車競技部は王者と言われるだけあり、その規模も設備も他校より充実していた。充実してはいるが部員数が多く、うまく人数を組んで練習をローテーションで回してもあぶれたり、または練習についていけなくなった部員が出てくる。そのため、そういった部員はマネジメントも行う。このような雑務から、中にはレギュラーたちのメンタルや体調管理まで行っている者もいる。むしろそっちの方が性に合うと思い、部員のマネジメントを専門に行っている先輩がいた。その先輩が倫子ともう一人のマネージャーに仕事を教えてくれているのだ。

「よし、干す」

誰に向かってでもなくそう言って、ジャージの袖を捲りあげる。雑務に集中できるとはいえ、ゆっくり作業していいわけではない。トレーニングルームで練習している部員たちもいる。何でいつ呼ばれるか分からないのだ。インターバルに入った部員がやれ脚が張っただのドリンクがなくなっただの言ってくるのはままある。まずは臨機応変になれ、先輩が言った言葉をなんとはなしに思い出しながら、タオルを干す。
吹き抜ける乾いた風と日差しは、もう夏の匂いを感じさせた。

タオルを干し終わったときに、案の定インターバルに入った部員数名から空になったボトルを渡された。抱えきれなかったため籠にいれて給湯室に移動し、ドリンクを作る。ようやく慣れたと自分で思えるくらいには手際良くなった。あとは部員の味の好みを覚えるだけだが、それはもう少し時間がかかりそうだ。部員達もそのあたりのことは理解してくれているようで、味の濃度に関してはまだ文句は言われていない。少しでも早く覚えようと改めて思いながら、倫子はレーニングルームに向かう。

「ドリンク持ってきましたー!」

トレーニングルームは意外と騒がしい。筋肉トレーニングだったり、ローラーを回していたりで。息づかいや声だけじゃなく、金属などが出す無機質な音もする。しかし全く耳障りに思えないのだ。

「サンキュー、久瀬」
「…なぁ、久瀬」
「ん?」

同い年の部員が、やや言いにくそうに倫子を呼ぶ。何かお願い事だろうかと顔を窺えば、彼は奥のローラーを一人で回している部員をちらっと見てから口を開いた。…そのちら見した人物を倫子もみたが、そういえば目の前の彼はあいつが苦手だったなと思い至る。

「荒北がほぼ休憩なしでずっとやってんだよ。オレら、そろそろ休憩とれ言ったんだけど」
「ああ、さすがにほぼぶっ続けはまずいぞって。でもオレらじゃ聞かねぇんだよ…」
「…ああ」

ついこの間入部したばかりである、荒北靖友。
元ヤンでこの間までフランスパンのようなリーゼントだったのだが、ばっさりとそれを切り落として入部してきた。入部前に福富のビアンキを持ち出した荒北は、そのときに倫子と出会った。というか、買い出し中に福富のビアンキがヤンキーに持って行かれたというのを主将から連絡を受けた倫子は荒北を見つけた、が正しい。その際にもめにもめ、倫子は荒北に平手打ちを見舞った。…まだ1ヶ月も経ってないはずなのに随分昔のようだと思いながら、倫子は口を開く。

「分かった、私から言う」

オーバーワーク、脱水症状、ハンガーノック。
無理な練習で起こりうることを頭の中で思い浮かべながら、ひたすらローラーを回している荒北のもとへ向かう。一心不乱にやるのは構わない。てっぺんを目指すと言った。しかし、その前に加減せずにやっていては保たないのは目に見えている。
ややふらつき、汗でシャツがはりついてる背中に倫子は声をかける。

「荒北」
「…あ?なんだよ、ブス」

振り向き、開口一番にブス呼ばわりである。咬みついてきそうな動物のように鋭い目は威圧的で、人を寄せ付けまいとしているようだ。しかしそれで怖じ気づくほどかわいい性格をしていない倫子は、荒い呼吸をしている荒北の口にボトルをねじ込んだ。

「うぶっ?!」
「押すわよ、飲んで」

ぎゅっと押して、流し込む。流し込まれた荒北は、動きを止めて飲み込んでからボトルを持ち、咳き込んだ。流し込まれた分はなんとか飲み干したようだ。

「げほっ!なにすんだ、テメェ!!」
「はいはい上手に飲めましたー。じゃ、降りてそのままインターバルしましょうねー?」
「うぜぇしキモイ口調すんじゃねーヨ!大体、オレはまだやれるんだっつの!」

吠えてくる犬のようだと思いながら、倫子は荒北の脚をみる。プルプル震えていて、限界が近いのを物語っている。こんなになるまで荒北は必死になっている。言葉や態度とは裏腹に。福富寿一はとんでもない男を自転車の道に誘ったのかもしれないと、文句を言いながらも福富からやれと言われたことをひたむきにこなす荒北を見る度に思った。

「このままだと肉離れか故障起こすわよ、やめなさい」
「……チッ」

舌打ちしたものの、荒北は比較的素直におりた。…この時の倫子は知らなかったが、荒北は元々野球部で、故障して野球をやめたという過去を持っていた。だから故障しかねないと言われ、言うことを聞いたのだ。
図らずも荒北のつつかれたくないところをつついてしまったのだと、倫子は後に知る。

プルプル震えている太股を叩いて、ベンチに向かう荒北。その背中に手を貸そうとしても突っぱねられるので、かわりにタオルを肩にかけてやってから倫子はレーニングルームをあとにする。

やることもたくさんだが、手の掛かる部員もいる。
やり甲斐があるじゃないかと、倫子は気合いを入れ直した。




20140227
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