ささやかなことが大事なのです

倫子は理数科だ。理数科は棟が別で、行き来するには少し億劫だった。渡り廊下を渡ればいいというだけだが、昼休みなどの貴重な時間を削るのは…と、思う生徒は少なくない。しかし、荒北はどうしてもそこに行かなければいけなかった。重大な用事ではない、ただ英語の辞書を借りに行くだけだ。同じ科の部員にあたったが、そもそも荒北とまともに話す部員の数は多くはない。全滅だった。次の科目が一緒だとか、すでに5限の体育のため更衣室に行っていたり。
寮までとりにいくにしては、微妙な時間だった。もう少し早くに気づいていればそれができただろう。サボるという選択肢もあったが、荒北は今までの素行のせいもありそういったことをして何かしら部に迷惑かけたり、荒北自身の部活動に支障を来すようなことになるのはよろしくないと言われた。だから、渋々それを守っている。
そして英語の授業を辞書なしで受けるなどできるはずもなく、荒北は理数科の倫子のところに辞書を借りに行った。理数科の棟にいくのは初めてだったが、荒北のことは理数科でも噂になっていたようだ。好奇の視線やら、少しの恐怖の視線やらを向けられた。それに苛ついたが、食ってかかっては前と変わらない。こらえて倫子のクラスに向かった。扉付近にきて、なんと声をかけるべきか荒北は迷った。

(おい、ブス…あ、クソ…これじゃ辞書借りらんネェ…)

普段、荒北は倫子を呼ぶとき大体「ブス」と呼んでいる。口が悪いのもあるが、初対面のときの印象が最悪だったのもそう呼ぶ理由のひとつだ。そして、今更ちゃんと呼ぶのもなんだかしゃくだとか。まぁそういった小さい理由だ。
だが今日は頼む側なのだ。そんな態度ででるわけにもいかない。借りられなかったら、貴重な昼休みを割いてここまできた意味がなくなる。なので、同じクラスの奴に呼んでもらうかと荒北が決めたとき、ちょうど倫子のクラスの扉が開いた。こいつに呼んできてもらうかと荒北が考えたとき、でてきた小柄な女子生徒は荒北に気づいた。

「荒北、なにしてんの」
「…ンだ…オメェか…」

まさかの本人登場である。予想してなかった。倫子はいきなりそんなことを言われ、むっとしたように眉を寄せた。当然の反応である。

「自分のクラスだからここにいて当たり前でしょ。ていうかなに?何か用事?」
「…あー…その、アレだ」

言いよどみ、目を泳がせた。ここまできておいてだが、やはり荒北は言い出しづらかった。人に頼るのが苦手というのもあるが、相手が相手だからだろうか。そんなことを考えながら、荒北は自分より小さい倫子を見下ろす。先ほどまでの機嫌を損ねた感じはなくなっており、今は歯切れの悪い荒北を不思議そうに見上げていた。再度、荒北は目を泳がせた。そこまでしてれば、荒北が何かを言おうとして言えないというのはいやでも分かる。だから、倫子から切り出した。

「なに?どうしたの?」
「…お前、次の授業なに?」
「現代文だけど…」

それが?と首を傾げる倫子を見つつ、その返答に内心安堵した荒北。もう英語かぶりはいやだった。正直、倫子のクラスも5限目が英語だったら、荒北は借りるつてがなくなる。あとはただ一言、貸してほしいと言えばすむ話だが、なかなか簡単に言葉にならなかった。どこまでも倫子相手には素直になれないらしい。

「それで、ヨォ…オメェ、英語の辞書、もってきてるか?」
「英語?あるけど…ああ、借りに来たんだ?ちょっと待ってて」
「!」

あっさり、しかもこちらが借りたいと言い出す前に承諾された。承諾した倫子は、教室へと戻る。教室を覗き込めば自分の鞄から辞書を取り出していた。そして辞書につけていた付箋を外して、倫子は廊下へと戻ってきた。

「はい、英和辞書。部活の時に返してね」
「お、おう…。6限は?」
「世界史だから大丈夫」
「げっ。現文のあと世界史とか最悪じゃネェか」
「あはは。そうかも。結構眠くなるなぁ」

ほんの少し笑って、共感の意を見せた倫子。それがひどく新鮮に思えた。思えば、喧嘩をせずにこういう雑談をしたのは初めてかもしれなかった。

(優等生だと思ってたコイツでも、そう思うのか)

なにひとつ同じではないだろうと思っていた。価値観の違いもあるが、やはり第一印象の悪さもあって相容れないだろうなと。しかし、倫子は荒北の言葉に同意を示した。ものすごくささやかなことだが。初めてのことだった。

「じゃ、部活のときにね。課題で使うから忘れないでよ」

トイレに行くのだろうか。倫子は荒北に背を向け、歩き出す。荒北は一拍間を置いて、

「あ…っ、ありがとな…久瀬!」

知っていたが今までろくに呼んだこともない、彼女の名字を初めて本人を前にして呼んだ。むずがゆさが体を走る。ただまともに呼んだだけだというのに、耳が熱を帯びた。倫子が振り返ろうとしてるのが見えたため、荒北は身を翻して走った。

(ちげェ!これは照れじゃねーヨ!チャイム鳴りそうだからだ!)

荒北は誰に向かってでもなく、胸中でそう言い訳しながら教室に向かって走った。教師の「廊下を走るな!」という注意が聞こえた。
心臓がウルセェのも走ったせいだと、また言い訳をした。




20140706
(9/11)
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