▼原初的欲求

(束縛する女だと思われると、重たいだとかめんどくさいだとか。そうなったら嫌われてしまう気がしたの。でも本当はね、あれして欲しいとか色々あるんだよ。寂しいときは会いに来て欲しいとか、そういうささやかだけどなんかちょっとめんどくさいようなこと)

と、思うだけである。思うだけで口にしたことはないのは、なまえが臆病だからだ。臆病だから自分がして欲しいことを飲み込み、いい子の仮面を被って聞き分けのいいふりをしてきた。
幼い頃から誰に対してもそうだった。それがなまえなりの処世術だと言える。今まではそれでいいと思っていた。
友達に対しても本音をあまり言わない。当たり障りがないため波風は立たないが、一歩引いた安全な場所。そういう距離感で人と接してきた。しかし、その距離に踏み込んできた人が一人現れた。一気にではなく、ゆっくりと。それがとても自然なことのように。
気がついたときにはそばにいて、そしていつの間にか好きになっていた。特にかわいいわけでもない自分のそばになんでと疑問に思いつつ、淡い期待を抱いていた。しかし告白などできるはずがなく、微妙な距離のまま時がたった。

友達以上、恋人未満。
今までなら甘んじてきた曖昧で安全で楽な関係だ。しかし、彼に関してはそのままはいやだと思うのだ。
だから斜め前の席に座っている彼の背中を見つめ、走る気持ちと立ち止まる気持ちに揺さぶられている。
五限目のお腹が満たされて眠たい時間。彼…新開隼人は頬杖をついていているが、起きてはいるようだった。テストが近いからだろう。いつもなら寝ている新開が起きているのは、そういう時期くらいなものだ。

「みょうじ、ここ和訳しろー」

間延びした英語教師の声ではっとし、なまえは慌てて腰をあげる。見つめすぎていたと反省しながら、ノートを手に黒板へと向かうなまえ。
新開の机の横を通るとき、「どんまい」と彼に小さな声で言われた。たったそれだけなのに自分の心臓が狂ったように早くなり、耳が熱くなった。

(どうにかなっちゃいそう)

いっそどうにかなったほうが楽かもしれない。
しかしどうにかなれるような気がしない。
今まで被ってきたいい子ちゃんの仮面はこんなにも分厚いものだったのかと、チョークを手にして指定された箇所の和訳をする。
カツカツ、音を立てながら文字を書く。最初はきれいなのに徐々に斜めに、そして小さくなっていく自分の文字。今の自分そのもののようで、嫌気がさした。


(もっと俺の前で本音を言って欲しい、わがまま言って欲しい。もっと俺のそばにいて欲しいし、がっつり触れたりとかしたい。控えめに笑うのもすげーかわいいとは思うけど、もっと思い切り笑うところも見てみたい)

新開隼人はみょうじなまえに対しシンプルでストレートな願望を抱きながら、黒板に和訳を書く彼女の小柄な背中を見ていた。
新開が彼女に興味を持ったのは本当些細なことだった。最初は控えめで大人しいクラスメート程度の認識だったが、なまえと喋るようになってから程なくして彼女は顔や口より目でよく喋るタイプだと気づいた。
それこそ大人しい性格や日頃の控えめな態度から想像もつかないくらいに。特に、自分の背中を見つめているときの彼女の目はよく物を言ってると思う。

(それをちゃんと、口で言って欲しい)

気づいてるのにそう思う自分はわがままで、彼女からすれば意地悪なことかもしれない。そう思えば自分に苦笑してしまうが、新開は期待しているのだ。
なまえが自分にどうして欲しいだとか、自分とこうなりたいと口にする日がくるのを。
彼女の口から聞きたいのだ。

(まぁ、我慢の限界近いから…そろそろ覚悟しておいてくれよな)

という意味を込めて、教壇から戻ってきたなまえに少し笑いかけた。なまえはほんの少し笑ったが、彼女の耳は赤くなっていた。
熟れた果実のようだった。
収穫はそろそろだなと、新開は手応えを覚えたのだった。




20141101
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -