▼甘い躊躇いと星屑セレモニー

初めての自転車だった。
兄のおさがりではなく、初めて自分に買ってもらえた自転車。
それが嬉しくて、連日のように自転車で遠出した。母から「そんなに乗り回してたら壊れるわよ」と小言のように言われたけれど、そのときのわたしは自分の自転車は無敵だと思いこんでいた。子どもながらの、訳の分からない根拠と自信。
そうして母親の言葉を聞き流し、ある日調子に乗って遠出した。しかし、それでも門限までには帰れるはず、だった。
自転車のタイヤが両方、パンクしなければ。

わたしはそのときパニックになった。パンクしたときはお店にもっていけばいいというのは分かっていたが、近くに自転車屋さんは見あたらないし、財布にもそんな額は入っていなかった。当時は携帯電話も持たせてもらってなくて、パニックが収まる頃には不安に襲われた。

「ど、どうしよう…」

そう呟いたときに泣きそうになったが、時間はまだおやつの時間をすぎたくらいだった。自転車を押して帰ればいいと思い直して、涙を引っ込めてハンドルを握った。
大丈夫、と自分に言い聞かせながら、ここまで自分を運んでくれた自転車を押した。

しかし、子どもの足と力では限界というものがあり、道の半分もいくかいかないかの時点で日は傾き、夕方になっていた。17時の音楽が、鳴った。もう門限の時間だった。それまでに家に帰れなかったこと、帰れるのだろうかという不安に襲われ、足を止めた。疲れたのも、あった。

「…うっ、ぁあああああ…っ」

道の端で、大声を出して泣きじゃくった。今思い出せば、恥ずかしいことこのうえないけど、あのときのわたしはいっぱいいっぱいで、もう帰りたくて仕方なかったのだ。この大好きだった自転車を、放り出してでも帰りたいと思っていた。
こんなことならお母さんの言うことをちゃんと聞いていればと泣きじゃくるわたしのそばを、車が通り過ぎていく。ひどい、話くらい聞いてくれたってと、全く関係のない運転手に泣きながら勝手に失望していると、もう一台車が通りかかった。
恨みがましそうな目を、していたと思う。誰か助けてくれないかなって、自業自得なのに思っていたから。
車はわたしの横を通り過ぎていく。鼻水をすすり、ごしごしと目をこすって、ついに座り込んだ。すると車は道路の端に寄せられ、止まった。こすった目でその車を見ていると、男の人がおりてきた。その人は、夕焼けを受けながらこっちに歩いてくる。わたしはというと、予想外の事態に座り込んだままただ泣いていた。
みっともなく鼻水をすすってるわたしの前に、男の人はちょっと困ったように笑いながら屈んだ。

「自転車、壊れたのか?」

優しく聞かれたけど、すぐには答えられなかった。涙を拭いて、泣いたからごにょもにょする口を必死に動かす。

「りょ、両方…パンクして…」
「パンクか。直せなくはないけど、ここじゃ狭いな」

車の通りはすくないけど、道は狭い。そこでパンクの修理なんてしたら、確かに車や通行人の邪魔になるなって、泣いていたわたしでも分かった。男の人はわたしの自転車を見てちょっと考えてから、わたしに聞いてきた。

「お母さんに連絡とかは?」
「し、してない…」
「じゃあまずはそれからだな」

男の人はズボンのポケットから携帯電話を取り出して、わたしに差し出してくれた。受け取ろうとしたけど涙と汗まみれだと気づいて、慌てて服で手を拭いてから携帯電話を受け取る。
家の番号をうって電話するとお母さんがでて、ちょっと怒ったようにだけど、「今どこにいるの?どうしてるの?」って聞かれたらなんだか安心して、わたしはまた泣き出してしまった。それで説明が要領を得なくなったわたしにかわって、男の人が説明してくれた。
えづきながら泣いてたら、男の人がまた携帯電話をわたしに渡してくれた。泣いてたからあんまり男の人とお母さんのやりとり聞いてなかったけどお母さんに、「自転車屋さんに迎えに行くから、泣きやみなさい。もう大丈夫だから」って優しく言われ、わたしは頷いた。…帰ったら怒られると分かっても、その言葉は当時のわたしには効果絶大だったから、母親ってさすがだと思った。

「じてんしゃや、さん…?」
「そう。オレんち自転車屋さん。だから店でちゃんとパンク修理してやるからな」

車の後ろに慣れたように自転車を積んでくれた男の人。
エプロンをみれば、「KANZAKI」と書いてあった。このときほど、いやいやでも英語教室に通っててよかったと思ったことはない。

「か、かんざき、さん…?」
「ん、ああ、そうそう。寒咲自転車店」

エプロンの名前の部分を指差して、助手席乗ってとわたしを促した寒咲さん。家の小型車とは違うバンに乗るのに戸惑っていたら、寒咲さんがだっこして乗せてくれた。それが恥ずかしかったけど、寒咲さんは普通に運転席に回って乗った。そしてそのまま車を出した。寒咲さんはハンドルを右手だけでもつと、左手で真ん中においてた袋を持ち上げた。

「さっき買ったばっかだからまだ冷えてる。とりあえず水分補給しといたがいいぞ」

袋にはポカリスエットと飴が入っていた。泣いたのとここまでほとんどなにも飲んでなかったわたしには、たまらない厚意だった。

「あ、ありがとう…かんざきさん」
「どーいたしまして」

こっちを見て、少し笑った寒咲さん。
ひゅって何かが縮んだ後に、どくどくとわたしの中で何かが流れた。それを誤魔化したくて、慌ててポカリスエットの蓋を開けて飲んだ。
むせるなよという寒咲さんの言葉を聞きながら、ポカリスエットを飲み込む。

ポカリスエットはとっても冷えていて、泣いたあとだったからすごくおいしくて気持ちよく思ったけど、胸の中のどくどくしたものは、引かなかった。




20140324
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