「今までは、これからもこうやって隠れて花を贈って、長江の笑顔が見られれば十分だと思っていた。だが…、どんどん惹かれていくこの感情を、君に伝えなくてはきっと後悔すると思った」

『…蛯原さん…』

ゆっくりと、丁寧に紡がれる彼の言葉が私の中へ染み込んでくる。


「家庭がある長江の幸せは奪いたくない。…だが、幸せだと言い切れないのなら、俺のことを少しでも意識してくれないか」

『私、は……』

私を抱き締める腕に、力がこもったのがわかる。
…もし、今、自分の気持ちよりも立場や親の気持ちを考えたら。
私もきっと、後悔することになる。


『…私も、蛯原さんが好き、です』

私はきっぱり言ったけれど、蛯原さんは無反応で。

(夫がいるのにこんな風に返事するなんて…軽いって思われたかしら)


『…ごめんなさい、夫がいるのに、こんな風に……』
私の声は最後まで届かなくて。

『きゃっ…、…んんっ…!』
抱き締められる腕の力が緩められたと思ったら、蛯原さんの唇が私の唇を塞いでいた。
康一さんの妻という立場になってから、初めての男の人とのキス。
何だかその行為が久しぶりなもので、たどたどしくなってしまう。

…しかも、相手は旦那じゃない。
夫も同じことをしてるだろうとはいえ、やはり罪悪感はある。
…だけど、夢中になってる。
確実に、気持ちが蛯原さんに傾いてる。


「ん…」
『…っ』

名残惜しそうに唇が離されると、蛯原さんは私の耳元へ口を寄せた。

「今から、俺の家に…寄っていかないか…?」


低い声で囁かれ、鼓膜が痺れたように熱を持つ。
一瞬、脳裏に康一さんの表情が浮かんだけれど…すぐにその隣にあの綺麗な女の人が現れて、私はそのふたりの姿を振り払うように頷いた。




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