ゆっくりと冷たい空気で肺を満たして再び吐き出す。冬の冷気がたゆたう朝焼けの眩しい校庭で、そっと瞼を閉じれば乾燥した角膜を潤す涙が滲んだ。
その闇に住まう男は確かに"此処"にいる筈なのに"何処"にもいないだなんで、皮肉にもならない冗談だ。
夢の材料にも使えない無駄な思い出ばかりを遺す余裕があったなら私の視界を潰す努力をすれば良かったのに、と訳もわからない理不尽な衝哭と煩悶に哀しい感情がふつふつと沸き立った。
「精市の事、か?」
「だったら、何?」
「過去を省みても、アイツは決して戻っては来ないぞ」
「そうは言っても、精市がいないとどうにも笑う気力も湧かないから」
「俺ではダメ、なのか」
「…残念ながら」
彼の代わりだなんて、あの仁王にだって不可能だ。細長く暖かな指先、全てを射抜く真摯な眼差し。代用に為るべくものは所詮代用。貴方の代わりが無いのとそれは一緒だ、と嘲笑を孕んだ口許が不吉に歪んだ。
澱みないその所作は何処か精市のそれにも似て、目の前の綺麗な顔の眉間に皺を寄せてしまった。
強張りをも見せた肩もやや緊張を帯びたかのように硬直を為し、私の心に苦しさを与えた。
「だが、」
「うん?」
「死者を思い返す様は見ていてあまり良い物ではない」
「だったら見なければ良いじゃない」
「それは無理な話だな」
お前だけを、ずっと見ていたんだ。
熱情を孕んだ声音とほぼ同時、力一杯に抱き締めた腕はその力加減を把握しきれていないらしく、何処か弱々しい。
でも、その優しさに思わず泣きたくなった、だなんてどうしてなのか。
「ちょっ、と!」
「泣きたい時は、思いきり泣いた方が良い」
「や、離し、てっ!誰かに見られでもしたら、!」
「見せつけてやれ」
聞き分けのない彼を引き離そうと腕の中で暴れてやろうと思えば知らずに、涙。それを優しく拭う指先が何より暖かで、侵食されてしまうような気分になる。
「考えておいてくれないか…返事はいつでも構わない」
「う…、ん」
「楽しみにしているよ」
「…、」
「?…どうした?」
「っ…!!」
ならば、絶対に私より先に逝ってしまわないで、と泣き付く嗚咽。呟いた一言が肯定を促し、胸元を濡らす涙をより熱くさせた。
(何にも必要とされない私などもういらない)