曖昧ミーマイン

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ここ最近、私はスティーブンを避けている。勿論、必要な会話はするし雑談だって周りの空気を壊してしまわない程度には交わしている。だがそれとなく、確実に、じわじわとスティーブンとは距離を取っていた。感情の機微を読むのが上手いスティーブンがそれに気付かぬわけがない。彼は私を深く理解してくれているし、何より私は隠し事がどうにも苦手だ。だから私が彼を避けていることは彼も周知の事実だ。それでもスティーブンは何も言わなかった。聡い彼はその真意を正しく汲み取り、その上で沈黙していてくれた。にも関わらず、だ。

「クラウス、今夜ディナーに行かないか。特等席の予約が取れたんだ」

愛飲しているコーヒーを啜りながら、スティーブンは私の今夜の予定を尋ねた。ミルクもシロップも含まれていない真っ黒な液体が喉を通ってスティーブンの中へ落ちていく。本日三杯目だ。コーヒーで僅かに濡れた唇、マグカップの柄に絡まる長い指、眼球の中を緩やかに泳ぐ虹彩。それらに封じているそれを掘り起こされそうになる。獰猛な本能を即座に抑え込むが僅かに間に合わず、指が彼に向かってぴくりと動いた。幸いにして気付かれはしなかったようだが。

「予定はない、が……」

予定はない。このまま何も起きなければ日付が変わる前にベッドに入り込めるだろう。予定はない。ない、が……。
さて、どう答えたものだろうか。嫌なわけではないのだ。ただ、タイミングが悪い。ここ最近はいつにも増して事件が多く、ほぼ毎日のように出動していた。決して楽ではない日々だが、世界の均衡を護る為に必要なことならば致し方ない。悪戦苦闘の末に解決した一件の後処理や報告書に手をつけていると、また新たな事件が舞い込んでくる。ここのところはそんな状態で、それがようやく落ち着いたのがつい5時間ほど前のことだ。次の瞬間にはまた新たな事件が舞い込んでくるかもしれないが。

「食事も大切だがそれよりも今は休むべきではないだろうか」

本心だ。だがこれが全てではない。
睡眠時間も満足に確保出来ない状況で身体と頭を酷使して疲労していないはずはない。スティーブンは一般男性と比較すればかなり丈夫な部類には入るが、戦闘員として前線に立ちながら司令塔としてその頭脳をフルに活用していることを考慮すると休息が必要なのは明らかだった。それに彼自身も30を超えてから無理が効かなくなってきたとぼやいていた。彼は休むべきだ。それに彼ほどではないが私の身体も休息を欲している。穏やかな休息の為には、彼との過度の接触は避ける必要があった。気を緩めると熱が篭ってしまう視線にスティーブンが気付いていないわけもないだろうに。それなのに何故、焚き付けるような言葉を口にするのか。
端正な顔に嵌め込まれたココアブラウンのその奥の感情を覗き見ようと目を凝らすが、残念ながら何も見通すことが出来なかった。元々機微を読むのは苦手なことに加え、スティーブンは己の感情を巧妙に隠す。だから瞳から読み取ることは出来ない。だが無意味なわけではない。スティーブンは私の視線に殊更弱い。わかった上で行使するのは卑怯だとわかってはいるが、そうでもしないと彼は己の手の内を明かしてくれない。

「ああ、うん。その通りだ。最近満足に寝た記憶がないしな」
「それならば」

何故。そう口に乗せかけたところでスティーブンの視線がつい、と横に逸れた。私から逸らしたというよりは別の何かに視線を移した、という方が適切だろう。何気なくその視線の先を辿ると、テーブル周りに集まったレオナルド達がこれからランチに行く店を熟考していた。実に見慣れた光景だ。いつもと変わりなければあれこれと候補が出て意見が飛び交った後、ダイナーに決定するのだろう。
ここ数ヶ月ですっかりライブラの日常光景となったやり取りを微笑ましく思う。スティーブンの抱く思いは私とは異なるようで、呆れを隠すこともなく押し出しながらコーヒーを啜る。この心底呆れ返っているスティーブンの表情もここ数ヶ月ですっかり見慣れた。スティーブンは視線を彼等に固定したままに口を開く。

「君、最近僕のこと避けてるだろ。ああ、いや、責めてるわけじゃないぞ? 僕だって君を避けてたし。だけどな、君のはちょっと露骨過ぎだ。少年達に気付かれた」
「む」
「あいつら心配してるんだぞ。クラウスさんと喧嘩でもしたんすか、なんてびくびくしながら聞いてくるんだ」
「……私は聞かれていない」
「君が僕を避けてることにしか気付けなかったんだろう。まあ、君が何も聞かれていなくて良かった。隠し事苦手だからなあ」

ぽろっと本当の理由を話されちゃ堪らないからな、と。
ようやく合点がいった。彼は私が彼を避けている理由がわかっている。その上で沈黙を貫いていた。そしてその沈黙を破る時は今ではない。わかった上で沈黙を破ったのは彼等の為だ。レオナルド達の危惧しているようなことは何もない。私達の仲は至って良好で、諍いなど何もない。だが言葉で幾ら説明したところで理由を話してやれない以上、彼等は口先だけの嘘だと判断してしまうかもしれない。そう考えて、私をディナーに誘ったのだろう。仲直りのきっかけ、もしくはディナーに二人で出掛けるくらいに仲は良好で仲違いなど存在しないのだと。思えばこうして人目のある場所で誘いをかけてきた時点でいつもとは違ったのだ。ここが職場だからなのか、スティーブンがプライベートの予定を埋めようとする時は決まって二人きりだった。つまりにスティーブンは彼等を安心させるという目的も兼ねて、私を誘ったのだ。

「まあ、君と食事にでも行きたかったのは本当だしね」

いい口実になったよ、と悪戯っ子のように笑う。
普段はきりりと引き締められた表情筋は朗らかに緩んでいる。同居している理性は断るのだと強く主張する。だが彼の言葉に従うには精神がやや摩耗し過ぎていた。

「……今夜は楽しみにしている」
「ああ、何も起きないことを祈ろう」

そこでようやくレオナルド達の窺うような視線に気付く私はつくづく鈍感なのだろう。













ガラス一枚を隔てた向こう側で、色とりどりの灯りが瞬く。何軒か立ち並ぶ高層マンションはどこも色鮮やかな光で住人の存在を知らしめる。濃い紺の光が一室に灯ったとか思えば隣の部屋に太陽を思わせような目が眩むくらいのオレンジの光が灯った。興味深くそれを眺めているとスティーブンが楽しげに笑った。

「綺麗だろう? あの一帯にはブラム族という種が生活していてね、彼等は色彩感覚の個体差が大きいんだ」

だからそれぞれ自宅の電気の色や光量が違う。各々が己に適した環境で生活しているが故に夜になるとそこは鮮やかな色に溢れるのだそうだ。まとまりがないからこそその光景は酷く美しく、いつしかこの光景を目当てにここを訪れる者が増えたそうだ。

「とても美しい光景だ」
「気に入ってもらえたようで何よりだ。まあ、僕も実際に来るのは初めてなんだが」

確かに、人気が出るのも頷ける光景だ。
元々この店の人気自体がとても高いのは知っていた。こういった方面の人脈はさほど広くないので耳に入ることは少ないはずなのだが、それでも何度かこの店の名前を聞いたことがあった。HLであっても素材にこだわり抜き、異界産の食材も使いはするが徹底的に味と安全と突き詰めた物だけ。シェフは各方面から一流の者を揃え、新たな技術を日々吸収し変化することを恐れない。そんな話を聞いたことがある。

「この肉、異界産なんだってさ。企業秘密らしいけどどうやって仕入れるんだろうな」

フォークで押さえつけたミディアムレアの肉を、スティーブンのナイフが撫でるように切る。真似るように同じことをすると、ほとんど力を込めていないのにあっさりと切れた。肉が柔らかく、ナイフの切れ味がいいからだろう。一口サイズに切断したそれを口に運べば、じんわりと旨味が口の中に広がった。咀嚼する度により深い味が染み出しながら、とろとろと口の中で溶けていく。
肉に合わせてチョイスされた赤ワインは彼の瞳と酷似していて、ワインさえ彼の一部であるような錯覚を抱く。スティーブンがワイングラスを持ち上げると注がれているワインが緩やかに波打った。胸の高さまで持ち上げられたそれが傾くと、赤ワインがスティーブンの口内へ流れ込んでいく。そんな動作ひとつ取っても彼はとても様になっていて、このまま眺め続けていたいとすら思う。だがそれは叶わない。
グラスのワインを3分の1ほど流し込んだところで、ココアブラウンがじとりと私を見た。

「クラーウス」

咎める声音で呼ばれて、思わず姿勢がぴんと伸びた。スティーブンは物音ひとつ立てずにグラスを元の位置に戻す。

「そんなに見つめられてると食べにくいじゃないか」
「う、うむ。すまない」

確かに、あまりに不躾な視線だった。
こうなってしまうのがわかっていたから彼を避けていたのだが、誘いに乗った以上はそんな言い訳は通用しないだろう。
4ヶ月だ。休みどころか睡眠時間の確保がやっとなくらいの激務が立て続けに舞い込み続け、気付けば4ヶ月もスティーブンに触れていない。物理的な距離があればまだ耐えられたのかもしれないが、絶えず隣に彼がいるのに触れられないのは酷く苦痛だった。人目がない一瞬の隙を狙って掠めるようなじゃれ合いは何度かあったが、せいぜいその程度だ。職務を忘れて劣情に走るなどという真似は出来ない。私も彼も、己がライブラにとってどれほど重要な存在であるかをよくよく理解している。それは決して一時の感情で放棄していいものではない。今はこうしてゆったりと食事をする時間を確保することが出来ているが、まだまだやるべきことが残っている。プライベートを充実させるには時間が足りない。そもそも、私とスティーブンの予定を合わせること自体がとてつもなく困難なのだ。だから少なくとももう1ヶ月はこのような状態が続くのだろう。忍耐強い方だとは思うのだが、それでも日々理性がじりじりと焦げ付いていくのを感じる。

「責めてるわけじゃないさ。こうなるような気はしてたし。出来ることなら要望に応えてやりたいんだけどね……」
「……君は、随分と余裕があるようだ」

口にしたところで拗ねた声音になってしまっていることに気付く。だが今更撤回するのもおかしな気がして、不満を乗せてスティーブンに視線を送った。どうせ彼相手に隠せはしないだろう。するとスティーブンは眉をへにゃりとハの字に落とす。

「もう30超えたおっさんだからね。君と比べれば性欲も薄いし、我慢出来ないこともないさ」
「そうかね」
「平気なわけじゃないぞ? 僕だって我慢してるんだ。……ああ、もう、拗ねるなよ」
「拗ねてなどいない」
「クラーウス」

困り果てたスティーブンが、弱った声音で私を呼ぶ。本人はみっともないと言ってあまり好まないようだが、私はこの声音が好きだ。彼の素の部分に素手で触れているような、そんな錯覚を抱く。出来ることなら彼を困らせたくはないとは思うが、それはそれだ。
スティーブンが困っている、という事実だけで気分はおおよそ晴れたのだがそれに気付いていないスティーブンは私の機嫌を直すべくうんうんと唸っている。困らせるつもりはなかったのだが。

「スティーブン」
「ん?」
「食事の後、私の家に君を招きたい」
「んっ!?」

ワイングラスを傾け始めていた手がぴたりと止まった。
この流れで、この言葉の意味がわからないということはスティーブンに限ってないだろう。真意はしっかりと伝わったようで、スティーブンは口の中で言葉をころころと転がして吐き出す音を慎重に選定しているようだった。

「……あー、クラウス。招待は嬉しいんだが、明日早かったよな?」
「明日は早朝から君と二人で交渉に赴く予定になっている」
「ああ、うん、忘れはしないよな。君、記憶力いいものな。ううん……今日、君の家に行くと帰れなくなるだろ」
「スーツもネクタイも君の予備がある。一泊なら問題ない」
「ああ、うん。それはそうだけども」

そこじゃないんだクラウス。
出勤前に一度家に帰るのが面倒だという理由で私の家に頑として泊まろうとしなかったスティーブンの為に、彼専用のクローゼットを用意した。あまり大きなものではないが、1日2日分の衣服を収納しておくには充分過ぎるくらいのもので、今ではたまにそれを利用している。彼に似合いそうなネクタイやスーツを見つけるとつい買い込んでクローゼットへ収納してしまうのだが、毎回抗議される。ただ、嫌ではないそうなので完全に止めるつもりはない。
スティーブンは私を説き伏せる為の言葉を探す。だがそれが成功したことはこれまでほとんどなく、今回も折れるつもりはなかった。

「昼間は休めって言ってただろ」
「それでも食事の約束を取り付けたのは君だ」
「食事に誘っただけだ」
「今その行為にどういった意味合いが乗るか君がわからないはずがない」
「……そもそもそれは少年達に無闇に心配をかけない為であって」
「それならば形だけの約束にすれば良かったのだ」
「そ、れは……君、落ち込むだろ」
「確かに落ち込むだろうが、それでも君はそうすべきだった」

秘密結社ライブラのリーダーとして、そして副官としての立場を何より優先するならばこうして長時間二人きりになるのは何よりも避けるべきことだったのだ。だがスティーブンも私もそうしなかった。その時点で何をどう言ったところで言い訳にしかならない。
それでもまだ反論しようと彼は口を開くが言葉にならず、再び閉じた。

「……明日、遅れるわけにはいかないからな」
「勿論だ」
「何も備えてないから最後までは無理だぞ。食事もがっつりしたしな」
「……ああ、君に無理をさせるのは本意ではない」
「ちょっと間があったな。本当にそこは全力で抵抗するからな」
「承知した」

神妙に頷くと、スティーブンが深い溜息を吐く。

「年々君に押し負ける回数が増えてる気がする」
「む。そうかね」
「無自覚かい、坊ちゃん」

そう嫌でもないところが救いようがないよなあ、とぼやくスティーブンから視線を外さないままに小さく切断した肉片を口へ運ぶ。単に私が我儘を言う回数が増えているだけなのでは、とは言わないでおくことにした。












私の自宅は基本的に外部の者が一人で辿り着くことが出来ない。ライブラ本部と同じように空間を幾つも経由しなければならないし、最先端の認証システムも導入されている。ライブラのメンバーにおいて一人でここへ足を踏み入れられるのはギルベルトのみだ。スティーブンにもこの権限を与えるべきではないかと提案したことはあったのだが、スティーブン本人がそれを跳ね除けた。万が一のことを考えると所持する情報は最低限に留めるべきだ、というのが彼の主張だった。必要であれば君に招いてもらえば問題ないだろうと頑なに拒否するので、スティーブンは今も尚権限を持っていない。その意思は今も変わらないようだ。
指紋認証、静脈認証などいくつかのセキュリティをクリアして、ようやくドアが開く。スティーブンを先に通して、ドアを潜るとドアが一人でに施錠された。
スティーブンの腕を引いて寝室へ流れ込む。あまりに急な加速についてこられなかったらしいスティーブンが足を縺れさせ、バランスを崩す。彼が倒れてしまわないように身体を支える。転倒を避けようと咄嗟に伸ばされた彼の腕が身体の横を突き抜け、鼻先が私の胸に埋まった。

「大丈夫かね」
「……ああ、すまん」

突き抜けた手が滑るように私の腕を掴んで、スティーブンが顔を上げる。視線がかち合うと同時に、どちらからともなく身体が動いた。
私が腰を曲げて屈み込み、スティーブンは重心を爪先に移して伸び上がった。そうすることでようやく身長差が打ち消され、触れることが出来る。じゃれつくように吸い付いてくる唇に耐えかねて、食らうように口づけを深くする。私が覆い被さるような形になることで必然的に彼の背は反り、重心が後ろへ移動していく。彼が後ろに倒れてしまわないように腰に手を回した。
ぬるりと口内に入り込んで来た舌が、犬歯を上手く避けながら上顎を撫でる。丁寧に撫で上げてくるその舌を絡め取ると、彼はあっさりとそれに応じた。私よりもやや長く薄い舌が、淫猥に絡みつく。互いに呼吸を奪い合って深く深く口付けを落としていく。

「っ、む」
「んっ、は……」

漏れ出る吐息にすらどうしようもなく煽られて、抑えつけていた欲求が膨れ上がっていく。
ふと、彼の舌が退いた。反射的に追いかけようと舌を伸ばすが、捕まえるよりも先に彼の舌は元あった場所に収まってしまう。リップ音を立てて名残惜しそうに唇が離れていく。

「…………」
「……」

じっ、と無言で視線だけを交える。それからスティーブンが私の腕をたしたしと叩いた。……うむ、承知した。
腰に回していた腕に力を込めるとスティーブンの身体がぐらりと左に揺らいだ。それに続いて、私も身体を左へ傾ける。そうして、二人でベッドに沈み込んだ。肌触りの良いシーツに肌が包み込まれる。
私へ手を伸ばしたスティーブンの指が私のもみ上げを絡め取って、彼が上機嫌に笑う。

「君といるとティーンに戻ったような気になるな」
「む。それはどのような意味だろうか」
「若人みたいに後先考えずに楽しんじまいたくなる」

そう思うのならばそのようにすればいい。と、言える立場では互いにない。逡巡して「私もだ」とだけ答えればスティーブンの表情が更に緩んだ。
もみ上げを弄んでいた手が離れていく。あっという間に元の形に戻るもみ上げを楽しげに眺めて、スティーブンは身を起こした。そのまま胸元で存在感を放つ黄のネクタイに指をかけた。それに倣い、私も胸元の赤に手をかける。力任せに引き解かれた黄が名残惜しそうにスティーブンの首筋に纏わりつきながら解かれていく。その間にも空いた片手はスーツのボタンを手早く外していた。随分と急いでいるようだ。

「スティーブン」
「僕だって我慢してたって言っただろ。……君は随分と余裕そうだな」

名を呼んだだけと言わんとしていることを正確に読み取ったスティーブンが、にやりと笑う。台詞は先程の私の言葉を真似たものだ。私だけが想っていないように聞こえるのが引っかかる。あの時のスティーブンもこんな気持ちだったのだろうか。そうだとしたら随分と思い遣りにかける発言をしたものだ。

「そのようなことはない」
「知ってるよ」

言ってみただけさ、と返しながらスティーブンは己の武器を躊躇なく外す。そうしてぱっと手を放した。急に空中に放り出された彼専用の革靴は重力に従い落下して、床で僅かに跳ね返った。スーツからするりと長い腕が抜けて行く。

「スティーブン」
「んー?」
「いいのかね」
「何が」
「全力で抵抗するのだろう?」

もしも万が一私が自制出来ず明日に支障が出てしまう域に到達してしまうようならばその時は全力で抵抗すると彼は確かにそう言った。だからてっきり武器は手放さないでいるものだと思っていたのに、スティーブンはあっさりとその素足を晒した。よもや丸腰で私に抵抗出来るなどとは彼も思っていないだろう。そんな疑問をぶつける間にもスティーブンは淀みなくシャツのボタンを外していく。

「靴だけ残してたら変態みたいじゃないか。君がそっちの方が興奮するって言うならそうしてもいいが」
「む。……いや、君の素足はとても好きだ。目にする機会は少ないが世界の均衡の為に刻まれた十字架をまるで自分のことのように誇りに思う。君はあまり見せたくはないようだが、世界を護る為に研ぎ澄まされた誰よりも美しい足だ」
「…………ああ、うん、ありがとう。そんな真面目に答えなくても良かったんだぞ?」

視線がゆるりと私から逸れる。何か気分を害するようなことを言ってしまっただろうかと不安に思っていると「ああ、もう……」とどこか苛立った様子でスティーブンの視線が戻った。ボタンにかけられていない方の手が私を指差す。

「不安そうにするな。あまりに実直な物言いにこっちが恥ずかしくなっただけだ。あと靴を脱いだ理由だっけ? 言わせるなよ、君の理性を信じることにしたんだ。無茶はしないでくれよ、Mr.ラインヘルツ」

己の立場を忘れるなと、再度釘を刺された。無論、忘れるつもりはないが絶対的な自信があるわけではない。自制などというものはとうの前からし続けている。長く続いたそれはふとしたきっかけであっさり振り切れてしまうことを、私はよく知っていた。それでも答えは決まっている。

「承知した」

ネクタイと一緒にチョッキをベッドの外へ放り投げる。スティーブンもまた私とは反対の方向に衣服を投げ捨てていくのでベッド周りはどんどん足の踏み場を無くしていく。スティーブンの腰に巻きつくベルトがするりと抜けて、空に放り出される。私も続くようにしてシャツを放った。

「今回は傷、増えてないな」
「君はひとつ増えているようだ」

もう塞がってはいるが、見慣れない傷が脇腹へ縦に走っている。その傷を指でつい、となぞればくすぐったかったらしくスティーブンは笑いながら身を捻った。

「三ヶ月前ビルにぶっ飛ばされた時に近くにあった鉄骨に掠ったんだよ。もうちょっとずれてたら死んでたな」

ははは、とスティーブンは明るく笑うが笑い事ではないだろう。彼はこういったブラックジョークを時折口にする。仮に私が同じことを言ったら決していい顔はしないだろうに、そんなところまでは思い至らないらしい。スティーブンに気付かせようと今日もまた渋面を作ってみせると、スティーブンが困ったように笑う。

「そんな顔するなよ。ただのジョークだ」
「そういった冗談は好まない」
「ああ、悪かった。今後は控えるよ」

そう笑うが、その言葉に私は懐疑の念を抱かずにはいられない。スティーブンは非常に信頼出来る男ではあるが、スティーブンのスティーブン自身の扱いについて限定するならば彼は非常に信用ならない。彼は彼を道具のように扱う節がある。道具として駄目になってしまわないよう最低限の手入れはしているようだが、本当に最低限だ。刃こぼれしてしまわないように、錆び付いてしまわないように。
抜き取ったベルトをベッドの外へ放る。それと同時にスティーブンもまた下肢に纏った衣服を外へ投げ捨てた。それを横目に彼の肩を掴んで押し倒す。そうなるのは予測済みだったようでスティーブンは何の抵抗もなくベッドへ沈み込んだ。彼は細身だと思われることが度々あるようだが、こうして見ると一般的な男性と比較してかなり筋肉がついている。着痩せする上に私の隣にいることが多いので細身に見えてしまうのだろう。するりと身体をなぞれば筋肉の凹凸に従って進路がうねる。胸元から指を滑らせ、道が分かれたところで右足の上を進む。

「く、らうす……くすぐったい」

彼の瞳に滲み始めている色は明らかにそれだけではなかったが、指摘するのも野暮だろう。こういった場で思ったことをそのまま口にするのは必ずしも正解ではないのだと何度も回数を重ねることでようやく学んだ。指摘したところで彼の機嫌を損ねたりはしないだろうが。
抗議に対する返答は一切なしに、指を彼から離すと近くのサイドテーブルへ手を伸ばす。ひとつだけついている引き出しの中を手の感覚だけを頼りに進んでいく。ここには最低限の物しか入っていないのでさほど迷うこともなく目的のものを探り当てた。
片手でキャップを弾いて、容器を傾ける。傾けた先に配置していた左手にどろどろと粘度の高いそれが伝い落ちていく。ひんやりとした温度が体温で打ち消されのを手の中で弄びながら待っていると、スティーブンは私の左手を掴んだ。

「……スティーブン?」
「いい。……早くしてくれ」

言うなり彼は私の左手を無理矢理傾ける。受け皿を失った液体達は私の手を伝いながら重力に押されて落下していく。落下したそれらがスティーブンの肌に着地すると同時に、スティーブンの身体が一瞬びくりと震えた。

「スティーブン、まだ冷たいようだ」

常温保管ではあるがやはり人肌と比べると幾分か冷たく、使用した時に違和感が伴う。それを回避する為に手のひらで温めていたのだが、スティーブンはそれを拒否した。

「いいよ、そんなのは別に。…………どうせすぐに気にならなくなる」

私が納得していないのがわかっていて、私を納得させる為に彼は渋々ながらにそう呟いた。納得と言うよりは理性を引き剥がしにかかる暴挙、と表現する方が相応しいのだろうがどちらにせよ結果は同じだ。
容器を逆さにして軽く握り込む。圧迫されたことで中身が押し出されてどろどろと落下していく。彼の腹に落ちた液体は腹筋の割れ目を伝いながら四方へ流れていく。5秒ほどその光景を眺めてから、蓋を閉じてサイドテーブルへ容器を置く。

「冷たくはないかね」
「その内慣れるさ」

気にするなと彼が言うのでそれに従う。腹に溜まった液体を右手に纏わせて、下へ滑らせる。真っ直ぐに降りて、隆起したそれに手を添えると大袈裟なくらいに震えた。驚愕で見開かれた瞳に獣じみた大男が映り込んでいる。すっと引いていく驚愕が完全に失せる前に手を動かすと彼の息が裏返った。

「っ、ぁは、まっ…………触らなくて、いい、から……」

制止されても止めずに手を動かすと、スティーブンの足に力が入る。耐えるように息を噛み殺したかと思うとシーツに投げ出されていた右手がぐわりと持ち上がって私の顎を控えめに掴んだ。

「くーらーうーすー」
「む。……すまない」

頬肉を押してスティーブンが抗議する。このまま続行しても怒りはしないのだろうが、彼の言わんとしていることは理解したのでその意思を尊重することした。緩やかに私の頬肉を挟むその掌に口付けを落とすと、手はあっさりとシーツに落下した。深く沈んだ彼の手がシーツに包まれていくのを眺めてから右手を更に下に落としていく。するりと足の付根から太腿へ手を滑らせると彼が震えた。鍛え上げられた足に力が篭って、筋肉が硬く浮き上がる。彼の身体に零した潤滑油を大腿部に丁寧に塗りこんでいく。隈無く塗り込んで大腿部全てがぬらぬらと光沢を放ち始めたところでスティーブンが私を呼んだ。

「クラウス」

スティーブンの足がぴたりと合わさって、丁度付け根あたりを撫でていた私の手を挟み込む。しっかりと挟み込まれているはずなのに先程丹念に塗り込んだ潤滑油のおかげで足の間を手が滑る。その官能的な光景にぐらりと目眩を覚える。唾を嚥下する音がやけに大きく聞こえるがそれを気にしている余裕もなかった。

「体勢変えた方が良くないか?」
「いや、このままで。君の顔を見ていたいのだ。駄目だろうか?」

合わさったままの足を掴んで、抱き込むようにして肩に乗せる。そのままぐっと前へ乗り出すとスティーブンの眉間に皺が寄った。この体勢だとスティーブンに負担がかかってしまう。後ろから覆い被さる体勢の方が遥かに楽なのはわかっているのだが、あの体勢だと顔を見ることが難しい。彼は己を誤魔化すことに非常に長けているので表情や身体の隠し切れないその一瞬を拾わなければ彼の本心へ辿り着くことが出来ない。せめてこのひと時だけでも彼の全てを知っておきたいと思うのは我儘だろうか。無論、強制するつもりはない。彼が嫌だと言うならばすぐにでも体勢を変えるつもりでいたのだが、彼はいつもと変わらぬ笑みを浮かべて私の我儘を許した。

「いいよ。僕も君の顔を見ていたいしね」
「……辛かったらすぐに言って欲しい」
「ああ、わかってるよ」

脱ぎ損ねていたボトムの前を開いて怒張したそれを取り出す。どくどくと脈打つそれは我ながら凶悪そのものだと思うのだが、自覚したところでそれを彼に向けることを止めることは出来ない。
ぴったりと合わさった足の間に赤黒いそれを差し込む。塗り込んでいた潤滑油のおかげでぬるりと粘液を纏わせながら足の間に深く潜り込んでいく。足の間に差し込んでいるだけなのにたったそれだけで理性が断絶していきそうになる。思いやりも何もなく思うままに動いてしまいたい衝動を殺しながら、ゆっくりと一番奥まで押し込んでいく。じわじわと進んでいく先端がスティーブンの陰嚢を緩やかに押し上げる。

「ふ、う」

篭った息を固く閉じた口の隙間から吐き出す。

「ふっ、顔怖いぜ」
「……そうだろうか」
「そうだよ。そんな顔も好きだけどな」

今にも理性が掻き消されてしまいそうだと言うのに、スティーブンはまだ余裕がありそうだ。これなら問題無いだろうと緩やかに腰を動かすとスティーブンの目が見開かれて、その眼窩で瞳が不安定に揺らいだ。ぎりぎりまで引いた腰を緩慢に奥深くまで戻す。太腿を擦る感覚が耐え難いのか、シーツに放り出されているスティーブンの手がわなないてシーツを握り締める。引っ掻くようにしてシーツを辿り寄せて、手中にシーツを掻き集めていく。深く差し込むのに合わせて先端で裏筋をなぞると彼が小さく喘ぐ。もう既に飽和状態なのではないかと思うくらいに甘さが溶かし込まれた声は乱れた呼吸に混じって運ばれて来る。足の付根ぎりぎりを擦る度に彼の身体が小さく震えて、力の入った足が更に強く私を挟み込む。

「っ、は……んっ」
「ふっ、スティーブン」
「なんだい、くらうす」

蕩けた瞳が、今にも完全なる獣に化けようとしている男を映し出す。それはおぞましい光景に違いないだろうに、スティーブンは愛おしげにその瞳を細めて甘く問いかけに応える。彼はそうやっていつも私をどうしようもないくらいに甘やかす。君がそうだから際限なく甘えてしまうのだ、などと責任転嫁も甚だしいことを考えてすぐに打ち消した。
一番奥まで腰を押しこんで、私とスティーブンの熱く昂ぶったそれをぴたりと重ね合わせる。左手を滑り込ませてそのふたつを擦るとスティーブンが小さく跳ねた。

「う。く、らうす……。ぼ、くは、いいって……」
「その要求を聞くわけにはいかない。……スティーブン」

擦り合わせる度に裏筋が互いの熱に撫でられて快感が体内に蓄積されていく。
言葉にしないと言いたいことは伝わらない、とスティーブンは常から私に言うがスティーブンに限定するならば言葉はほとんど必要としない。彼は驚くほど正確に私のこころを読み取って、汲み取って、応えてくれる。それはこんな時でも例外ではない。
シーツを固く握り込んでいた手がゆるゆると持ち上がると、今最も粘着質な音を発しているそこへ降りる。長く骨ばった指が1本また1本と私の熱に絡んでいく。緩く握り込まれた手が上下に動き始めたところで私も手の動きを再開させる。するとびくりと肩が震えて、握りこむ手に力が篭もった。その振動ですらも既に快感にしか成り得ないところまで既に来ていた。責める先を先端へ集中させるとスティーブンが抗議の声を上げるが構わずペースを速めた。

「っ、おい! ま、て……なん、で僕が先……」
「どちらが先でも同じだ」
「そっ……なら、君が先で……あっ!? っう、ぁ、くそ……っ」

決して上品とは言えない言葉を吐きながらスティーブンの身体が小刻みに震える。続いて白くどろどろとした粘液が私の手に纏わり付く。快楽の残滓が熱として彼の口から吐き出されるのをどこかぼんやりと眺めていると、その口端がゆるりと吊り上がった。同時に全身に震えが走る。
彼の指の腹が絶妙な力加減で先端をぐりぐりと押し潰して、今まで蓄積されていた快感が押し寄せて爆発する。あまりに突然のことで堪える暇もなく、吐き出したそれがスティーブンの手を汚す。
じとりとスティーブンに抗議の視線を送るが、彼に反省の色はなく悪童のように笑った。

「君だって俺の話聞かないだろ。お互い様だ」

ふふん、と鼻を鳴らすスティーブンはいつもよりも1回りほど幼く見える。NY崩落以前の彼はどちらかと言えばこちらに近かったと記憶しているのでもしかするとこちらの方が彼の素なのかもしれない。
スティーブンが汚れていない方の手で私の頬を優しく撫でる。それが心地よくて強請るように頬を擦り寄せると彼が笑う。

「もう一回するかい? 君、まだ足りないだろ」
「む。君はどうなのだろう」
「僕かい? んー、足りない、けど我慢出来ないこともないさ」
「ではもう一度いいだろうか」
「ああ、喜んで。ただし、これで終わりだからな」
「承知した」

みっともなく甘く擦り寄ればきっと彼は3度でも4度でも許すのだろうが、副官としての彼を困らせるのは本意ではない。それなら許されたあと1度を存分に堪能することにしよう。ぐっ、と腹部に力を込めて決意を固めると笑みを貼り付けたままの彼の口端がひくりと引き攣った。

「……顔怖いぜ、クラウス」















「あ、あの、仲直り……したんです、か?」

小動物のように震えながら目の前にやってきたレオナルドが恐る恐るといった風にそう口にして、私は彼等にどうしようもなく心配をかけてしまっていたのだと自覚して罪悪感が重くのしかかる。隣でコーヒーを啜っていたスティーブンが、私が自責の念に駆られている間にレオナルドの問いに答える。

「ああ、おかげさまでご覧のとおり元通りだ。心配かけたね」

仲違いをしていた、という誤解は正すつもりがないらしい。理由が話せない以上は仕方ないだろう。
スティーブンの言葉を受けて、レオナルドが肩の力を抜く。かなり心配をかけてしまっていたようだ。申し訳ないことをした。

「君達には随分と心配をかけてしまっていたようで、その、すまなかった……」
「え、や、そんなの全然! ザップさんは寧ろ倒すなら今がチャンス! とか息巻いてましたし。止めましたけど」
「別に僕と喧嘩しててもクラウスのコンディションに影響はないと思うけどね」
「まあ、それは僕も思いましたけど」

お二人が元に戻って安心しました。
屈託なくレオナルドは笑って、それにつられて私達も笑う。

「本当に心配をかけたな。お詫びにお前達に昼飯を奢ってやろう」
「え! いいんすか!?」
「ぎすぎすした上司に挟まれて居心地悪かっただろ。迷惑料とでも思ってくれ。ほら、存分に話し合って来い」
「イエッサー!」

びしりと敬礼を決めてから駈け出して行ってしまった。スティーブンの言葉を伝えた途端に盛り上がる彼等を眺めつつ視線をさりげなく滑らせると、スティーブンと目が合った。

「まあ、おおかた散々揉めた挙句ドギモピザかダイナーあたりになると思うが君も一緒に食べるかい?」
「うむ。楽しみだ」
「君、美食家の割にジャンクなもの好きだよな」

昨夜の痕跡など欠片もなく、副官として隣で彼が笑う。
あと3日もすれば、大きな事件が起こらない限りは時間が取れるだろう。それまでは余計なものを表に出してしまわないよう、意識して黙り込む。するとそれに気付いたスティーブンが小さく笑った。

「顔が怖いぜ、クラーウス」


slow


時間がない大人達

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