曖昧ミーマイン

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視線を感じている。
不躾な視線は何の遠慮もなく私を撫で回す。不快ではないが、落ち着かない。彼はその手に持っているアグカップから黒黒としたコーヒーを時折流し込むが、その時ですら視線が私から完全に外れることはない。
こうも露骨に熱視線を送られるのはとても珍しいことだ。ここが彼の家で、私と彼しかいないことを差し引いてもそうそうあることではない。普段の彼は見通されないことに長けていて、視線を感じることはあれどどういった意図の視線なのかまではわからないことが多かった。だから寧ろ嬉しくさえ思うのだ。彼が隠すことなく己を晒すのはほんの一握りの相手だけで、その中に自分がいることがとても嬉しい。

「何だね、スティーブン」

平静を保っていたつもりだったが、声が弾んだ。
急に上機嫌になった私に驚いたスティーブンはぱちぱちと瞬きを繰り返す。上機嫌になったきっかけがわからないのだろう。君がそのような視線を送ってくれることが嬉しいのだと伝えたところで彼は納得しないのだろうが、それを承知でそう伝えると更なる驚きで表情が歪んだ。

「寧ろ不快に思うことなんじゃないのか? たまに君のことがよくわからなくなるよ」
「普段の私の気持ちが少しでもわかったかね」

君のことがよくわからない、はこちらの台詞だ。彼は己を非常に巧妙に隠匿する。無数にある手札はスティーブンの中で細かく分類され、私の知覚にまで届くのは恐らくほんの一握りだ。彼が隠し持っているそれらを時折暴こうと試みては失敗する。彼が狡猾で、私が不器用だからだ。
図らずも責める口ぶりになってしまったことに、彼が肩を竦めてから気付く。そんなつもりではなかったと弁解すると「わかってるさ」と返される。

「それよりも、だ。気になることがあるんだろう?」

ふふふ、と楽しげに笑う。今は酒は入っていないはずだが、スティーブンはやけに機嫌がいい。ああ、すまない、君と二人になるのが久々で浮かれているんだ。私が問うよりも早くにスティーブンはそう先回りする。彼が先回りするおかげで私は随分と言葉を飲み込んで生活しているように思う。スティーブンならば視線だけで私の考えを読み取ってしまうことすら可能であるような気がしてくる。無論、そこまで頼り切るになるつもりはないが。

「いや、その、先程から視線が」

どういった視線がどう刺さるのかを上手く説明出来ずに口ごもる。きっと彼はこれだけで察してくれるとは思うのだが、彼のそういうところに甘えてばかりにいるわけにはいかない。我々は違う個体なのだから考えていること全てを見通せるわけではないし、全てを理解し合えるわけでもない。だからこそ言葉にし、行動にし、伝えて理解し合っていかなければいけない。そう思うのに今回もまた私が上手く言葉にするよりも彼が言外の言葉を読み取ってしまう方が早かった。

「ああ、ごめん。少し考えごとをしていたんだ」
「考えごと」

思わず鸚鵡返しをしてしまう。先程の熱視線と考えごとという言葉が噛み合わなかったからだ。一体どんな考えごとをしていたらあんな視線を注ぐことになるのだろうか。
こうして会話をしている間にもスティーブンの視線は私から外れない。先程ほど露骨ではないにせよ熱視線であることに変わりはない。それがむず痒くてもそもそと姿勢を変えて視界から少しでも外れようと試みたが、大柄な私がそう簡単に視界から外れられるはずもなかった。
居心地の悪さを誤魔化すためにスティーブンが淹れてくれたコーヒーを煽る。途端に口の中に広がる苦味は私の心情を反映しているかのようだった。嬉しくないわけではない、のだが。

「なあ、クラウス」

こつっ、とマグカップをキッチンに置いて、普段は僅かに首元に覗くだけのプルシアンブルーのシャツを惜しげも無く晒しながらスティーブンが歩み寄る。息苦しいから、と帰宅するなりネクタイを外した胸元は控えめに素肌を晒している。
ゆったりと私の真正面までやってきたスティーブンはひたりと私の頬に手を押し当てる。普段使う技のせいか、生まれつきなのか彼の体温は一般よりもやや低い。私の体温が高めなことも手伝って、頬に触れた瞬間にひんやりとした感覚が伝わってくる。私はこの感覚が好きなのだが肌寒い季節には寒いだろうからと言ってスティーブンはあまり私に触れない。気持ちよさに目を細めるとスティーブンが笑う。犬でも撫でてるみたいだ、と。
その言葉に従い、犬のように手に頬を擦り付ける。すると今度はスティーブンの瞳が細められる。細く長い指先にもみあげを軽く絡ませて弄ぶ。彼がこうして思うままに私に触れてくることはあまりなにのでされるがままになりながら彼の言葉を待つ。近くに置いていたマグカップはまだコーヒーが残っていたので念の為に遠くへ追いやっておく。

「僕に抱かれてみる気はないか」

ぱちり、と。
一度の瞬きの時間がやけに長く感じた。驚きで下りた瞼を再び開いても彼に大きな変化はなかった。

「抱く、とは抱擁ではなく?」
「Sex」

この状況を楽しんでいるらしいスティーブンはわざわざ直接的な表現を持ち出す。ここで怯んでは彼の思う壺だ。楽しそうなのは何よりだが、無闇に笑われる嗜好は持ち合わせていないので出来るだけ平静を装って会話を続ける。

「君が、私を?」
「僕が、君を」

他にないのはわかっていたが、思わず確認してしまう。
私とスティーブンの間柄を表現するならば同僚であり、戦友であり、親友であり。そして何よりも恋人である。この関係は言葉にする度にむず痒いからもっと他の表現を使わないかと彼が言うので、その反応が楽しくて頑なに表現を変えずにいる。恋人と言うからには恋人でしか出来ない交わりも何度か交わしている。互いに同じ組織に身を寄せ、立場も重く、仕事は危険とイレギュラーに満ち溢れている。そのせいもあって回数はさほど多くはないが、主にスティーブンの多大な努力のおかげで身体を交えることはあった。
その行為の際の役割はいつも決まっている。完全に固定しているわけではないが、スティーブンがそう望んだ。とは言え「この役割がいい」という積極的な動機ではない。こっちの方が都合がいいんだ、それに君だって抱かれるより抱く方がいいだろう? 前半の言葉に引っかかりを覚えるが後半の言葉は否定出来ない。そのせいで上手く反論することが出来ず、今日まで役割は固定されていた。だがスティーブンはここに来て役割の交換を要求している。

「まあ、無理にとは言わないが」
「……スティーブン」
「んー?」

頬にあった手はゆったり滑り落ちると首を撫で上げる。ぞくぞくと悪寒にも似た感覚が駆け上がるのに耐えながら、スティーブンを見上げた。本当に、いつになく楽しそうだ。

「正直に、抱かれることに抵抗がないと言えば嘘になる」

元々男は抱く側の生き物であり、そういったように創られている。それを相手への想いを原動力に捻じ曲げようとしているのだから抵抗感があるのも致し方ないことなのではないかと思う。しかしそれはスティーブンも同じだろう。私よりも遥かに色恋沙汰に長けた彼はその点に関しては私以上に男として生きているはずで、その分抱かれることに対する抵抗も大きかったはずだ。だが彼はそういった素振りをほとんど見せなかった。冗談の中にほんの一握りの本音を落ち混ぜるくらいがせいぜいのもので、それすらも私が気付いたことを気取られてしまうと心の奥の奥にしまい込んでしまう。それでも気付いてしまった以上何もしないなんてことは出来るわけはなく、日々刻々とスティーブンの底に沈殿するそれらは嵩を増している。無理を強いているとはわかっている。どう取り繕ったところで大なり小なりどこかで無理をしなければ成り立たないというのは理解している。だがそれは彼の優しさに甘え続ける免罪符には当然ながらならない。

「だが君と共に在れるなら私にとっては幸福に違いない。その、君のように上手く立ち回る自信はないが君が望むと言うなら最大限の努力をしよう」

恐怖がないと言えば嘘だ。
未知に対しての恐怖はいくら非日常に身を置けど消え失せることはない。臆病者な性質も手伝っているのだろうが。
だが芽生える恐怖は彼への愛で容易く上塗りできる。心より信頼し、愛し愛されている彼と共に在ればこの程度の恐怖は瑣末なものだ。彼も同じように思ってくれていると嬉しいのだが。
ふと、気付くとスティーブンの視線は落ちてその肩はふるふると震えていた。

「スティーブン?」

表情が見えないのでどういった感情に基づく震えなのか判断がつかず、心配の色を多大に滲ませた声が口をついた。するとすぐに「違うんだ」と否定の言葉が飛んでくる。その声は珍しく震えていたが、どうやら笑いから来るもののようだ。上げられた顔はほんのりと赤く染まっていて、堪えきれないといった風に喉がくつくと鳴る。

「ふっ、くく……いや、すまん。さっき、考えごとをしていたって言っただろ?」
「ああ、確かに君はそう言っていた。……それがどうかしたのかね」

それとこれとの繋がりが全く見えて来ない。こういう時に頭を回さなければ脳はどんどん錆び付いてしまうのだろうが、こういう時は素直に聞いた方が拗れずに済むことを経験で知っている。だからぐるぐると巡る思考を押し留めて問う。するとスティーブンはよくぞ聞いてくれたとばかりに、上機嫌で緩みがちだったその表情を更に緩くした。

「愛されているな、と思って」

先の発言は勿論本心で本音だが、今すぐどうこうというつもりはないのだと。やけに嬉しそうな声が鼓膜を叩く。
君がそう答えるのは予想していたんだが実際に聞くと威力が違うな、と笑う。

「つまり、難しい要求を受け入れてもらうことで愛されていることを確認したかったということだろうか?」
「そう言葉にされると構って欲しくて仕方ない奴みたいだな、僕は」

でもまあその通りだ、と。
ここのところ忙しく仕事以外の会話はろくろく出来ていなかったのでフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。それは私も勿論そうだが。

「……私は」
「うん?」
「私は、いつでも君を愛していることをこの身全てで伝えているつもりだが」

伝わっていなかったか、足りなかったか。私が不満げにしているをあっさり見抜いたスティーブンは酷く震えた。大爆笑一歩手前といったところか。……何がそんなにおかしいのだ、スティーブン。
私が益々不満げになってことをこれまた察したスティーブンは優しい声音で語りかける。まるで親が子供に優しく言い聞かせるような声音で。

「勿論、君の愛はいつも感じているさ。でも俺は強欲だから直接的で刺激的な愛も欲しいんだ」

犬猫のように耳元まで擦り寄ってきたスティーブンは小さく、一言。――Please、と。

「そ、れは……私の都合のいいように解釈しても?」
「考えてることは俺も君も同じだと思うぜ」

少し距離を取って私の顔を見据えたスティーブンがにんまりと笑う。年々大人の男としての貫禄を深めていく彼は、悪戯好きの少年のようににんまりと笑みを浮かべた。

「優しくしてくれよ」

わざわざ雌のような言い回しをして煽っていることに気付いたのだが、それでも長らく繋がれていたせいで飢えていた本能が鎖を噛み切るのを止めることは出来ず。今の私に出来るのはせいぜい彼を圧死させてしまわないように、彼へ伸ばす両腕の力を誤ってしまわないことぐらいだ。


逆さに満たして


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