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※2532
「お前、ほんとどうした」
疑心に満ちた瞳が、僕の姿を映し出す。思わず咬み殺したくなったが、ぐっと堪えた。
「何が」
「そうやってすぐに苛々するところは変わってないけどな」
我慢してやったのにあっさりそれを見破ったこの人は苦笑を零す。きげんが悪くなることがわかっているなら最初から言わなければいいだろうに。そう思うとまた苛々してきた。
「だから、何が」
「いや、お前って群れるの嫌いだろ」
「そうだね」
この人に出会う以前からそれは変わらない。
群れるなんて弱い人間のやることだ。 僕は弱くないからそんなことする必要がない。まあ、たまに強いくせに群れてるこの人みたいな人間もいるわけだけど。
「それなのにさ、入れてくれるから」
ここに、と言って指差したのは乳白色の温泉。
頭にミニタオルを乗せたその姿はいかにも「日本文化を楽しみに来た外国人」といったところだ。間違ってはいないが。
「貴方が煩かったからでしょう」
僕は日本が好きだ。
自宅は和風だし、プライベートの私服は着流しだ。とにかく日本文化を愛している。だから温泉も例外なく好きだ。
だが温泉は人が集まる。人がわらわら群れている中温泉を満喫出来るわけもない。だから貸し切ることにしたのだ。だからこそここはこんなに静まり返っているし、この静謐さが誰かよって破られてしまうこともない。
「俺も温泉に入りたかったんだよ」
三十二にもなって未だに子供っぽさを残すイタリア人は、顔を半分湯に埋めてぶくぶくと気泡を吐き出す。
湯から僅かに覗く肩には、お洒落でやったのだとは誤魔化しきれない刺青が彫り込まれている。
「それのせいで入れないのはわかるけどね」
温泉は基本的に刺青が入った人間の入浴は禁止になっている。この人なら温泉客に馴染むまでに時間はかからないだろうとは思うが、それでも身体の約半分を這い回る刺青は威圧感を与えるには充分だろう。
「貴方も貸し切れば良かったじゃない」
出来ないことはないだろう。
この人としては僕と2人きりよりも部下達とわいわいしていた方が楽しいんだろうし。
何の他意もなく本心からの言葉だったのだけれど、目の前の金髪は盛大に溜息を吐いた。咬み殺されたいのか。
「何」
「わかってねえなあ、恭弥」
本当に呆れ返った風に言うのでむっとする。一体何がわかっていないというのか。そもそもにしてどこにわからなければいけない要素があったのか。
「そんな怖い顔するなって」
身体の古傷に反して、傷ひとつない手が頬を撫でる。今の今まで乳白色に浸っていたせいで、ぬるぬると滑る。
「そう思うならさっさと言いなよ。何がわかってないって?」
手を軽く叩き落とす。けれど彼は気にした風もなく、楽しそうに笑った。
「恭弥と二人で入りたかったんだよ」
「……」
流石はイタリア人と言うべきか。よくもまあそんな恥ずかしい台詞を吐けるものだ。
「僕は一人で入りたかったけどね」
本音だったので正直にそう伝えてやれば、それでも彼は堪えた様子もなく「ごめんな」と楽しそうに笑った。
「本当にそう思うなら僕と勝負しなよ」
「…………検討しとく」
随分と日本的な返しをしてくるようになった彼に思わず笑みを零せば、鬼を見るような表情を浮かべた。
どうやら咬み殺されたいらしい。
刺青のせいで温泉に入れない馬が書きたかった