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正直、タイミングを掴み損ねていた。だからと言い訳をするつもりはないが、タイミングが掴めなくて最後の最後までタイミングという点においては最悪だったと思う。
「近藤さん」
「ん?」
名前を呼ばれたことで近藤さんが振り返る。今日という日でありながら、近藤さんの匂いは変わることはない。つくづく世の女共は男を見る目がないようだ。
珍しくデスクワークなんぞをしているのは現実から逃れるためか。一度外に出てしまえばごまかしようのないくらいに、ひとつの匂いが街中をびっしりと埋めつくしているに違いないのだ。土方もそれがわかっているから屯所から出ない。あの匂いは、ある人物を連想してしまうからか、どうにも好きになれない。
俺は手を止めて振り返った近藤さんへ歩み寄ると、懐へ手を入れる。そして出来るだけ感情を隠して、取り出した。つい先程冷蔵庫から取り出したばかりなので溶けている、なんてことはないはずだ。
「ん」
「ん?」
俺が取り出したものに対して、近藤さんは首を傾げた。俺がこれを渡す理由に至っていないらしい。わざわざ言えということか。思わず声を荒げそうになったがそれでは照れ隠しもいいところだ。感情の中に一気に冷却機をぶち込むことで、辛うじて平静を保つ。
「まさか今日が何の日か知るらねーわけじゃねーよな」
「ん?今日?今日は二月十四……ああ」
忘れていたらしい。一歩外へ出ればバレンタインムードに街が包まれているという中で忘れるのはかなりの忘却力を要すると思うのだが、まあそれはいいか。忘れていたと言うのなら忘れていたのだろう。
「で、バレンタインになんでトシが俺にチョコ?」
とぼけているわけではなく、本気で疑問に思っているらしい。一から十まで言わなければ伝わらないのか。全てを言葉にしてしまうのはあまり気が進まないが仕方ない。
「去年、アンタ俺にチョコ渡しただろ」
「ん?ああ、そうだったな」
近藤さんは恥ずかしげもなくバレンタインにチョコを購入し、俺に渡してきた。それが去年の出来事になる。そしてここからはどう頑張っても言い訳のようになってしまうので、あまり言いたくはないのだが。
「ホワイトデーは丁度忙しくて結局何にも返せてなかったしな」
最初は頭の隅くらいにはあった。だが忙しさのせいでそれは頭の端へ追いやられ、いつしか忘却。思い出した時にはゆうに二ヶ月が過ぎてしまっていた。流石にそれは遅すぎる。だから俺は年内に何かを返すことは諦めた。
「……だからバレンタイン?」
「去年の返しも含めてな」
それで板チョコもどうかと思うが、女子の群れに混じって既製品を買い求めることなんざ出来るわけがない。手作りは論外。
正直なところ、板チョコを買うことだってかなり憚られた。自意識過剰かつ被害妄想だとはわかっているものの、周りの視線が痛かったような気がする。
そんな俺の思考が読めているのか、近藤さんは「なんで板チョコ?」と口にすることはなかった。
「おう、ありがとな」
そう言って、ただの板チョコを受け取る。その笑みに何より救われているのはきっと俺だろう。
「ホワイトデーには何返すかなー」
「マ」
「マヨ以外でな」
まあ、言わないけど。
2012年VD
2012.02.08