牙を剥いた獣



コン、コン。

一日の練習が終わり、就寝時間も近づいて来た頃、控えめなノック音が豪炎寺の部屋に響いた。

豪炎寺は明日の準備をしていた手を止め、来訪者を待たせないよう、直ぐさまドアに向かう。
ドアの施錠を解くのと、青い影が部屋に侵入したのは、ほぼ同時だった。

「虎丸…!」
「こんばんは!お邪魔します!」

虎丸は持ち前の身のこなしで、するりと豪炎寺の部屋に入ると部屋中を舐めるように見渡し、うっとりとした表情を浮かべる。

「ここが豪炎寺さんの部屋かぁ。綺麗にしてるんですね」
「虎丸。何の用だ」
「そんな警戒しないで下さいよぉ。別に取って食べたりしませんって!」

おおよそ小学生から発されるとは考え難い言葉を耳にし、豪炎寺は狼狽えた。
その様子を見て、虎丸の幼さを残したあどけない瞳が獰猛に輝く。



突然の来訪者、宇都宮虎丸。
2つ年下で、同じくFWを務める彼は以前から豪炎寺の大ファンであり、同じ日本代表に選ばれた今でも、豪炎寺に対して並々ならぬ執着心を見せていた。
ポジションが同じであるのをいいことに、いつ如何なる時でも豪炎寺の側を離れない。
始めのうちは、兄のように慕ってくれているのだと思い、嬉しかった豪炎寺だったが、最近はそれだけでないことも薄々気づき始めていた。

その理由の一つが、虎丸の過度なスキンシップである。
隙を見せればいつ抱き着いて来るか分からない。それだけならまだしも、そのまま身体をべたべた触られるのもしょっちゅうだ。

「用がないのなら帰れ。もうすぐ就寝時間だぞ」
「嫌です」
「…虎丸!」

今もそれなりに警戒していたつもりだった。
豪炎寺は虎丸に窘めるように言い放つと、背を向けた。同時に背中から包み込まれるような感覚。
――不覚だった。
宿舎内とはいえ、二人きりの空間で背中を向けるなんて。

腰に回された虎丸の腕は、豪炎寺の身体を縛めるように離れない。
引きはがそうと腕に手を掛けても、全身の力が篭められた拘束はびくともしなかった。

「虎丸、抱き着くのは止めろ」
「何でですか?」
「今は小学生だから戯れで済むかもしれないが、年を重ねればそうもいかなくなる。周りに変に思われるぞ」
「豪炎寺さんと円堂さんだって影でやってるじゃないですか。それに豪炎寺さんと変に思われるのなら本望です」
「……っ」

円堂との関係を見透かされ、豪炎寺は口を噤んでしまった。
背中に嫌な汗が伝うのを感じる。

豪炎寺は動揺し、何も出来ずに立ちすくむと、力強く腰に回されていた手はやがて這うように蠢く。服の上から体躯を楽しむかのように動き回っていた手が、シャツの裾から直接肌に触れると、豪炎寺は指の冷たさに身震いした。

「ちょっ、」
「豪炎寺さんの肌すべすべですね」

虎丸の吐息が耳元にかかる。頭の中で煩い程に危険信号が鳴り響く。
豪炎寺が力なく身をよじらせていると――

ガチャッ

「豪炎寺ー!俺スッゲーいい技思いついたんだけど聞いてくれよー!」

――まさに救世主の登場だった。

「…えん、どう」
「あれ?虎丸も居たのか!お前ら本当に仲良いな!」

円堂は靴を乱暴に脱ぎ捨てると、普段の人好きのする笑みを浮かべながら部屋に入る。
それと同時に、豪炎寺の腰の拘束も解かれた。

「俺、もう部屋に戻ります」
「ん?もう帰るのか?」

円堂が来るや否や、虎丸は二人に背を向け、靴を履き始めた。円堂もそんな虎丸を見送ろうと、ドアまで向かう。

「じゃあお休み虎丸!明日も練習頑張ろうな!」

円堂は虎丸が部屋の外に出ると、ドアの縁に手を掛け、笑いかける。
対象的に虎丸は明らかな敵意を込めた瞳で円堂を睨み上げた。


「……何でそんなに余裕なんですか?笑っていられるのも今のうちだけですよ、円堂さん」

虎丸の瞳に宿っていたのは明らかに肉食獣のそれで、円堂の表情は固まった。
小さく、低く呟かれたその言葉は、部屋の隅で佇んでいる豪炎寺に届くはずもなく。
円堂は部屋に戻る虎丸の後ろ姿を暫く眺めながら、静かに両手の拳を握りしめた。



END




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