鈍感すぎるのも考えよう
「何だよこれっ…!」
あまり喜怒哀楽の激しくないミストレが珍しく声を荒げ、エスカバの軍服の襟に手をかけた。
怒りからか、悲しみからかは定かではないが、泣きそうな表情を浮かべながらも、視線はエスカバの首筋にある赤い跡から目を離さない。
首筋にある赤い跡。
それは、昨晩寝ている間に虫に刺されたものであったが、どうやらミストレはキスマークか何かと勘違いしているようだった。
だからと言ってエスカバはミストレがここまで怒りを露にする理由が分からなかった。
今まで、ミストレの気まぐれで何度か抱かれたことはある。だが好きだと言われたことはない。つまり恋人同士ではないのだ。
せいぜいミストレにとって、自分は都合のいい性欲処理の相手という位置付けだろうとエスカバは考えていた。
しかし言わばセフレの自分に対してミストレがここまで執着するのは想定外だった。
「……それ付けたのバダップ?」
「はぁ!?違ぇよ!これは昨晩虫に刺されて――ってか」
「何そのお決まりの嘘」
エスカバが、女って選択肢はねぇのかよ、と続けようとしたところで、その言葉は遮られた。
事実を嘘呼ばわりされた上にホモ扱いされ頭が痛くなる。確かに自分の周りは男ばかりで女っ気がないのは自覚してはいたが、だからと言ってホモではない。キスマークの相手すら男と思われるのは心外である。
エスカバが心の中で悪態をついている間も、ミストレは今にも殴りかかりそうな勢いで襟首を掴む。
エスカバは息苦しさに眉を寄せた。
「本当にエスカバはバダップのことが好きだね」
「お前が変な勘違いをしているだけだ」
「たかが一回、ディベートで打ち負かされた位ですぐ尻尾振っちゃってさ…!」
「だから何のことだ」
もはやミストレはエスカバがなんと言おうと一切聞く耳を持とうとしなかった。
ただただ怒りにまかせ怒号を浴びせ、エスカバの襟首を掴んだまま前後に揺さぶる。
「あー腹立つ!エスカバのくせに!」
「だから何で腹立ってんだか分かんねぇって言ってんだよ!てかこの手を離せ!」
ゴホゴホとエスカバが喉への圧迫に咳込むと、ミストレはがっしりと襟首を掴んでいた手を突き飛ばすようにして離した。
その衝撃でエスカバが地面に尻餅をつく。
「――っ、いってぇな!」
「ねぇエスカバ」
ミストレは地面にしゃがみ込み、エスカバと目線の高さを同じくした。
そして、まるで女性のもののような白く華奢な手でエスカバの顎を捉える。
「これ位でオレが諦めると思わないでよ?」
ミストレは真っ直ぐエスカバを射抜くと噛み付くように唇を塞いだ。
まるで呼吸をも奪うかのように深く、荒々しく口内を蹂躙すると最後に銀糸を作りゆっくりと唇を離す。
「……ッ、いきなり何す」
「エスカバ。今夜、オレの部屋に来てくれるよね?バダップの部屋じゃない。オレの部屋だよ」
ミストレは一方的に約束を取り付けると、颯爽とエスカバに背を向け歩き出した。
取り残されたエスカバは暫くミストレの後ろ姿を見つめ、その姿が小さくなったのを確認すると頭を抱えてうずくまった。
(…諦める?それってどういう意味だ?)
そして先程のミストレの言葉を反芻し、一人赤面するのだった。
END
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