吉良


喪主というのは、目立つことだからあまりやりたくなかった。しかし彼女の血縁は息子の私くらいしかおらず、結果として私は黒いネクタイを締めて母の骨を拾った。家族写真の一部を引き延ばした遺影に向けて何度も焼香が行われ、白い花が捧げられた。棺は炎に迎えられ、私は母の骨を入れた壺を持たされて墓場まで移動した。その一日の記憶ははっきりしていない。ただ、様々な臭いが入り混じって眩暈がしそうだと思ったのは覚えている。その晩風呂に入っても、燃えさしの残り香とむせかえる花の匂いが皮膚にこびりついているようで何度も体を洗う羽目になった。

母が日に日に病んでゆく中で、殺すことについては勿論何度か考えた。彼女が生きたがっているようには見えなかったし、病院に車を回す手間も省ける。しなかったのは単純にその後が面倒だったからだ。警察だのなんだのに私の家へ上がり込まれたくもない。私は母の衰えた手足を支え、薬を飲むための白湯を用意した。昔は甲高い声で話していたのに、ここ数年は口から漏れる息のような静かな話し方をした。
「吉影、賞状をこの部屋に移して欲しいの」
夜の一時、眠っていた私を起こして母が言った。私は当然不機嫌だったが、小学校からの様々なトロフィーや賞状を持ってきて母の寝室、その棚の上に飾ってやった。順位はすべて三位だ。色で言えば大抵がブロンズで、その深く武骨な輝きが老いた母親の体に絡みつき、濃い死の気配が立ち上がってくるように思われた。本人にはわからないのか、濁った瞳でどこか遠くをぼんやり見つめている。
「……吉影は本当に優秀だったわ」
「母さんの息子だからね」
「まさか。母さんたちみたいな親には勿体ないくらいだったじゃない。どんな習い事もすぐ上達して、反抗期なんて一度も……」
「そろそろ寝ないと、母さん。体に障るし、ぼくは明日も仕事だから」
母のしわがれた手を振り払い、襖を閉じて冷えた蒲団に戻って眠った。まもなく母は死ぬだろうと思った。そしてその予感は、正しかった。

葬儀の翌朝、母親の寝室を片付けた。蒲団や衣服、小物なんかをすべて袋に入れて捨てるだけだった。特に趣味のない人だったから持ち物はあまりなかったが、私が小学生のころに図画工作でつくらされた版画だのパズルだのがいくつか出てきた。それはゴミ袋に入れるか少し迷って、キラークイーンに手伝わせた。
「やっぱり葬儀はあまりやりたくないね。喪主は声をかけられるばかりだし」
キラークイーンはいつも通り無言だったので、私は嬉しくて饒舌に話をした。
「……聞いたかい、あの女が死ぬ前に言ったこと」「おまえに殺されるかと思った」「知っていたんだろうか、どう思う?私がおまえと殺しをやっていたなんて、母さんに分かるものかな」「まあ、もう死んだんだから関係ないことだな。もっと早くに言われていたら、それこそ殺す羽目になっていたかもしれない」「私は両親を殺さなかった、そこそこ親に報いた」「そうだろう。キラークイーン」
彼、あるいは彼女は何も答えず、何の表情もその顔に表さない。こいつのそういうところを気に入っている。父親も入院してからはわりと優しくしてやったし、母親も弱ってゆくほど許していけた。昨晩は近づく死の匂いでよく眠れた。それが、私の幸福だ。

「母の代わりとは言わないが、明日にでも彼女を探してみようか。せっかく部屋も広くなったし」
むろん返事はなく、金属のような眼が私を見つめ返したのみだったので、それで満足して何もなくなった空間をしばらく見つめた。掃除はかなりしているつもりだったが、小さな埃が陽の光を浴びて舞い上がるのがよくわかる。その動きは昨日見た火葬場の煙を思い出させて、見えない指で何度も心臓を撫ぜられているような甘い気分になる。
家中が静かだった。換気扇が回る音、風で窓枠が軋む音、すべて手元に置いて弄べる。ここに彼女を連れてくれば、この家はきっと完璧になるだろう。両親が私に贈ったもので最も素晴らしいものを命だとすれば、次点はきっとこの静けさだ。彼女を迎え入れるのにとびきりの空間。誰の声もしない穏やかな白昼。これが二人の死によってもたらされた平和なのだ。

彼らを殺してしまわなくて、本当に良かったと思う。



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