及川と牛島と女

モデルハウスのように過不足なく整えられた部屋に、美しいが生気のない女。牛島が選んだものは何もかも、及川の癪に障った。女は及川に向かってあいまいに微笑み、痩せた手で紅茶を注ぐ。深い香りがぱっと広がる。ティーカップはマイセンだかジノリだかの、高級で古臭いデザインだ。恐らくは女の趣味だろう。
「新居のお客様は及川さんが第一号なんですよ」
「畏れ多いですね、本当に俺で良かったんですか?」
「ええ。言ったでしょう? 私、及川さんとずっとお話ししてみたかったんです」
「新婚さんがそんなこと言っちゃ誤解されますよ」
「あの人がそういうの気にすると思います?」
「確かに、言えてる」
及川は少し笑って、伸ばしていた背をソファへと寛げる。真新しい家具の匂いがした。向かいの一人掛けに腰かけた女は先に紅茶を一口飲み、囁くように笑った。この女は息を小さく漏らすような、か細い話し方をして、及川はそれがあまり好きではなかった。
「むしろ、会ってみたらいいって言ってましたよ。あれは優れた選手だからって」
「あなたはバレーには興味がないって聞きましたが」
「ええ。個人的な、なんていうか……そういう枠組み抜きで、お話したかっただけですよ。及川徹さん。あの人に対する誤解を、解いておきたいと思って」
あのひと。その形容に含まれた奇妙な熱を、及川は感じた。女の目がぎらりと鋭い光を帯び、陶器の人形じみた顔にそぐわぬ生々しい質感を宿した。及川ははじめて彼女のことを美しいと思った。

「あの人はあなたのことを嫌ってるわけじゃない。好いているわけでもない。あなたは、あの人になにも囚われてなんか、いない。苗字も権利も肉体もあの人のものじゃない。死んだ後に同じ墓にぶちこまれるわけでもない。あなたより私のが、あの人にずっと呪われているのよ」

誇らしげに、夢みるように、女は言った。先ほどまでの話ぶりが嘘のように、力強く朗々とした声色だった。だから及川は安心して、女の顔へと紅茶をひっくり返した。
「うるせえよ、クソ女」
及川ができるだけ爽やかに笑うと、彼女もぼたぼたと滴を落とす長髪の向こうで形のよい唇を綻ばせた。その口が何かを言いかけた瞬間、リビングのドアが開いて平坦な声が響く。
「……どうしたんだ」
「あら、おかえりなさい。ちょっと、及川さんが手を滑らしてしまって。あなた、タオルを持ってきてもらえる?」
「ああ」
練習着姿の牛島は、さして狼狽えるでもなくすぐにドアを閉めた。その目が無感動に及川を見る。及川は心のうちで唾を吐いた。
モデルハウスのように過不足なく整えられた部屋に、美しいが生気のない女。牛島が選んだものは何もかも、及川の癪に障った。呪いなんてここにはない。あるのはただ感情だけで、それはきっと、この男にだけは届かないのだ。