林檎と友千香
美しいとか可愛いということと、男性的・女性的ということは、案外あまり関係がない。「女装アイドル」として生活し始めて気づいたことだ。林檎は端正でやや幼げな顔立ちをしていたので、前者の賛美を手にすることは容易かった。月宮林檎は美しく、あるいは可愛いアイドルになれた。しかし、女性に見えるような女装、綻びのない完璧な女装というのはひどく難しかった。林檎の脚が描く輪郭や頬の骨が張り出た形状は、あくまで男の魅力だった。それで構わないと、それこそが「女装アイドル」としてむしろ正しいのだと、分かってはいても違和感があった。たっぷりと巻いた髪も、足の甲が剥き出しになったパンプスも、自分の物だと感覚で思えるまでは時間を要した。
「最近は男の人の服も自由になりましたよね」 渋谷友千香が雑誌を広げながら、なにげなく言う。事務所内の簡易的なカフェテリアは、芸能人でもゆっくりとくつろげる。友千香も普段は欠かせないサングラスを襟もとに引っかけ、その華やかな美貌を惜しげなく晒している。林檎は席から身を乗り出して紙面を覗き込んだ。見慣れた少年の笑顔がページ一杯に広がっている。奇抜な衣装を纏っていても、彼の笑顔はいつも親しみやすくて魅力的だ。 「翔ちゃんはオシャレさんだものね。入学した時から、マニキュアも塗ってたし」 「あー、たしかに。あれ見て焦ったんですよね、あたしも爪まで油断しちゃダメだなって」 「あら、いつも綺麗だった気がするわよ?今日も可愛いじゃない」 友千香の爪にはジェルで施された、オパールのように光の加減で虹色に輝く白が五対の彩りをあらわしていた。シンプルでいて豊かな色合いは、彼女の瑞々しさと鮮やかさをよく引き立てる。 「おととい変えたばっかなんですよ。撮影に合わせて」 「さすがうちのトレンドクイーンね」 「そういえば先生はネイルしてないですよね。仕事の都合とかですか?」 「ううん。なんかアタシがすると、ケバくなっちゃうのよね。肌に近い色なら、たまにセルフで塗るけど」 林檎はひらひらと手を翳す。かなり女性的な手だと、自分でも思っている。それが美しいかどうかはまた別だ。龍也の節くれだった大きな手も、自分のそれと同じく美しいと林檎は考えている。美しさは多様だ。可愛いは、それよりいくらか狭い。けれどどちらも広くて自由な世界だ。 そういう意味においては、ショービジネスの世界は自由なのかもしれない。 目の前で屈託なく話す友千香はとびきりの美人だが、男性にこぞって愛されるようなタイプの容姿ではない。逆に整ってはいないけれど、万人が可愛いと思える容姿のアイドルもいる。林檎は女ではないが女の衣装を纏って美しく、可愛いと言われる。 美しければ、可愛ければ、かっこよければ、それがどんなに奇異でも構わない。残酷なルッキズムという壁を越えた先の自由に、林檎たちはいる。幸福なのかは分からない。ただ選んだ道で、選んだ自分だ。林檎は月宮林檎というアイドルを気に入っている。それだけで十分だった。 「でも、そうね。ペディキュアくらい、してみようかしらね。何色がいいと思う?」 ちいさな少女のように友千香が瞳を輝かせ、任せてくださいよと笑う。林檎もつられて笑った。自分たちふたりが美しく可愛らしいふたりだと気づいて、そんなことを素直に喜べることを嬉しく思った。
我が名はグルーヴィー
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