焦燥大反響





「モブリットさん、研究室でハンジ分隊長が呼んでいましたよ」
私の声、鈴の鳴る音を虫が真似するような声。
軽い嘘をつくと、モブリットさんは面白いくらいにそくささと部屋から消えた。
黴臭い書類だらけの部屋に、私ひとり。
誰もいない。
窓から差し込む光を一瞥し、背を向ける。
部屋の端に置かれた椅子に手をかけ、目を伏せ深呼吸をした。
高価そうな椅子を引きずり、部屋の一番目立つテーブル前に置く。
頭の中に光景だけ浮かべて目を閉じる。
片足を椅子に乗せ、息を吸い込む。
器官が冷たくなって、肺が空気で満たされて。
体重を片足に感じて、腰が軽くなる。
それから、発声してすぐに歌う。
歌詞の意味は、よく知らない。
大きな声で、抑制を感じさせないように歌った。
部屋全体に響いてるであろう自分の声が、耳の中で反響する。
喉に響く自分の声と、抑制のために動く喉の筋肉。
声帯を覗くことができないのが、残念だ。
流れるように思い出す歌詞と歌い方を、垂れ流しでもするように歌う。
一人になって歌うと、いつもこうだ。
いつも静かなのは、声を無駄に出さないため。
発声するときにしておかないと、声はすぐに衰える。
声が老いる理由が加齢のみでないと、歌は勤まらないと、母さんがそう言っていたことを思い出した。
兵団に入ってからめっきりと歌う機会なんてないし、私は歌が上手くなくて居場所がなくて、口減らしもあって兵団に入ったのだけれど。
それでも、時たま劣情が崩壊するように歌いたくなる。
人には聞かせたくない、自分の歌声。
下手とか上手いとかそんな話じゃなく、自分の感情の折り合いの問題。
歌いおわって、ふと視線を感じて扉を見た。
開いた扉から光が逆光していたけれど、誰かがいるのはすぐに分かる。
ぽかんとした呆気な顔をした、ハンジさんがいた。
さっと感情が冷静になって、我に返る。
「なまえ、歌うの好きなの?」
「わ、あ、ああの」
恥ずかしくて、言葉がつまる。
ハンジさんは真面目に考察しはじめた。
「随分迫力のある歌い方だね、君の出身の伝統か何か?」
隠し通せそうにない状況に軽く狼狽しながら、目に涙を浮かべてしまった。
私のみが気まずい状態なのは百も承知だけれど、できれば知られたくなかった事実。
渋々言うことにしたけれど、口がとても重い。
「・・・お母さんが、歌唄いでした」
けれどハンジさんは顔色を変えることがなく、実にあっけらかんとした顔をしていた。
「そっか。」
軽くそう言って、にっこり笑う。
笑った時の顔は女性らしく美人なのだから、ずっと笑っていて欲しい。
「歌、もっかい聞かせて。」
「恥ずかしいです、だめです」
「すごく上手。」
本気で言われているのか、貶す意思があって言われているのか、私じゃ分からない。
でも、ハンジさんはきっと本気なのだろう。
にこにこ笑うハンジさんが素敵で、つい俯いてしまう。
「今度、なまえの歌で巨人をおびき寄せよう!」
「へ?」
「冗談だよ!」
今度は盛大に笑い出したハンジさんを、私が見つめる番になった。
この笑い声で、誰かが様子を見に来ないといいけれど。
明るく笑うハンジさんをただ見つめていると、すこしばかり笑いを落ち着かせたようで、再び話題をふっかけてきた。
「なまえはなんでいまここで歌ってたの?」
どきりとする質問なのだろうけど、もう何も思わない。
「たまに歌わないと、お母さんの歌、忘れちゃうから」
本当のことを言うとハンジさんはあっさりと受け止めたようで、また笑いかけてくれた。
「なあんだ、なまえは良い子だね。」
開けっ放しの扉を閉めたハンジさんが、私を見る。
扉を閉めたことによって、また埃と黴の匂いが鼻をつく。
「歌とか言葉って不思議だよ、なまえがお疲れ様って言ってくれたり、今の歌とかさ、疲れ吹っ飛ぶもの。特別なものを持ってるのって、すごいよ。」
ハンジさんの予期せぬ平凡な語りに、つい聞き入ってしまった。
巨人のことしか話さない変人と呼ばれている人だけれど、私はとても好きなのだ。
「わ、たしも」
次に私の口から反射的に飛び出した言葉は、自分の胃を冷やすようなものだった。
「私もハンジさんが特別です」
湯湧いた頭が、思いを零した。
顔に熱が集まって、またハンジさんの顔が見れなくなる。
「・・・あれ!?」
ハンジさんが驚く。
驚いた顔も、まともに見れないくらい恥ずかしいことを口走ってしまった。
拒絶が真っ先に飛んでくる、そう思った。
けれど、ハンジさんは眉を下げただけで、顔は微笑んだまま。
「どうしよ、なまえから告白されちゃった。」
まったくもって引きもしないハンジさんに、どう反応していいか分からず、また私は黙り込んでしまった。
先ほどから黙り込んでばかりの私を、怒りもしない。
ハンジさんは、私の唇を見つめた。
「さっきまで歌ってたのよね。」
指が唇に触れてから、ハンジさんの顔からにこやかさが消えた。
うっすらと笑っていた面影の残る顔をしている。
いつものハンジさんとは、すこし違う顔。
その顔色から拒絶が伺えないことだけが、唯一の安心だった。
焦燥が燃え上がる。
笑顔のまま、私を見つめてほしい。
それが言えないまま、窓から黄昏が射した。





2013.09.01


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