悪い子





ハンジ分隊長が、椅子に座ったまま背伸びをして吐き出す息と共に言った。
「今すぐに浮いた話をして、今すぐに!」
突然の申しつけなんて、とてもよくあることだ。
この人らしい行動には何でも微笑んでいたけれど、浮いた話とは。
「今ですか?」
私が問いかけると、こちらを見てにっこりと笑ったハンジ分隊長が、笑顔で浮いた話で気分転換させろと迫ってくる。
突然の申しつけには、慣れていた。
けれど、浮いた話となると、悩んでしまう。
「そうですね・・・」
私が悩むのは、私自身に浮いた話があるからだ。
それを話してしまいたいような、話したくないような、誰でも一度は経験したことのあるものであって。
そんな話をして、いいのだろうか。
迷っていると、ハンジ分隊長は椅子に座って私を見つめたまま、口の端をへにゃりと歪めた。
「なまえの恋の話をして!」
きっぱりと、ハンジ分隊長は言い切った。
「はっ!?」
驚きを隠せず、即座に赤面する私を見て、悪戯を仕掛けてくるかのようにハンジ分隊長が近づいてくる。
近くで見た顔は、隈ができた疲れの塊だった。
浮いた話を聞かせろ、と迫る気力はあるのだから、倒れそうにはなさそうだ。
「いいからしてよ、浮いた顔してるから浮いた話を頼んだんだよ。」
私は、そんな顔をしているんだろうか。
今のハンジ分隊長のように、何があったかすぐわかるような単純な顔になっているんだろう。
きっと、ばれている。
恋をしている時の顔はいつもとは違うって聞くけど、本当らしい。
私は椅子にゆっくり腰掛け、方膝を抱えた。
赤面する熱さを体の下に抜けさせるように呼吸をしていると、ナナバさんのことが思い浮かぶ。
「ナナバさん、素敵に見えるんです」
恥ずかしくて奥底に仕舞っていた言葉を、零した。
ナナバさんは、綺麗で、それでいて凛々しくて、喋り方、細めの手。
透きとおるような目つき。
性別を匂わせない清潔感も、とても好き。
どこが好きか、までは言わなかった。
それでも私の中に渦巻く、ナナバさんの姿。
きっとこれは恋で、重症なのだろう。
「うーんと」
ハンジ分隊長が遮るように私に相槌を打った。
ぼさぼさになった頭に指を這わせながら、あっけらかんと聞く。
「なまえはさ、ナナバを男だと思ってるのよね?」
「えっ」
思わず、驚いてしまった。
一体、分隊長は何を考えているのだろう。
ナナバさんは、女性だろう。
もしかして違うのだろうか。
女っぽく見える男だと、ハンジ分隊長はそう言いたいのだろうか。
頭に鈍い寒気が走る。
「女性じゃないんですか?」
鈍い寒気に耐えながら、湧き出た疑問をぶつけた。
すると、ハンジ分隊長はへらへらと歪ませてた口元をきゅっと一文字に結んだと思ったら、爆笑しはじめた。
室内に広がる、軽快な笑い声。
こんな明るい笑い方をする時もあるんだ、この人。
「ああ、これは本物の愛だ!」
そう叫ぶと、次は控えめに笑い始めた。
何故笑われているかは、分かっている。
だから、だから、浮いた話はしたくなかったのだ。
私は女で、ナナバさんが好き。
だから、したくなかったのだ。
恥ずかしくて、たまらない。
「は、ハンジ分隊ちょ」
笑いに打ち震える肩に手をやると、扉が開いた。
扉のすぐ向こうに、書類を持ったナナバさんがいた。
私の赤面した顔と、笑うハンジ分隊長を見て、何か悟ったようで、扉を閉め部屋に踏み込んできた。
「騒がしいところ、失礼するよ。」
ナナバさんが、しっかりと私の目を捉えて言った。
私の横を通り過ぎたときに見えた、細い腰。
仕草も何もかも、どうしてこの人はこんなに綺麗なのだろう。
ハンジ分隊長と仕事の会話をするナナバさんも、とても綺麗で。
私がぼうっと見つめていることに気づいたナナバさんは、ハンジ分隊長に耳打ちした。
「・・・なにか、いけない空気だったのかい。」
ハンジ分隊長は、にやりと笑い、私を見た。
「なまえに聞けばわかるよ!」
するり、と寄ってきたナナバさんに、心拍数が上がる。
耳から心臓の音が漏れているんじゃないか、というくらい煩い。
椅子に座る私の目線に合うように、ナナバさんが腰を曲げて私の顔を覗き込む。
恥ずかしくて、目が合わせられない。
「なに?なまえ。」
聞くだけで、全身が温かくなる声。
何も答えられずにいると、ナナバさんはずっと私を見つめてきた。
ハンジ分隊長が作業をする音も、次第に少なく、静寂を誘い出して。
静かな空間で、爆音ともいうべき心臓の音が、私の頭を麻痺させる。
「ナナバさんが」
私から漏れた声は、か細いものだった。
「好きなんですって言ったらハンジ分隊長がナナバさんは男だと思ってるかって聞かれて違うって答えました」
一気に言うと、私は静かに息を吸って深呼吸をした。
私の告白ともいえぬ告白を聞いたナナバさんは、目線を合わせることをやめ、腰を上げて腕を組んだ。
「困ったなあ。」
その言葉だけで、すっと背筋に冷たいものが走る。
心臓の音を水で埋めるかのように、背筋が冷えていく。
「私はどちらかというと、図体のいい男性が好きなんだけどね。」
男性、と聞いて、全身の力が抜ける。
泣きたくなる気持ちと、これから何か言われる覚悟を胸に、ぐっと耐える。
ナナバさんの顔を直視できず、抱えた肩膝を見つめていた。
なんて言われるだろう。
女が女を好きになるなんて間違ってる、気持ち悪いとか、もう近づかないでとか。
そんな悪いことばかりが、頭の中を支配してしまう。
私は、弱い。
ナナバさんは、私がこんなに弱いことを知らないのだろう。
ふと私に投げかけられた言葉は、まるで救いだった。
「でも、なまえみたいな子は嫌いじゃない。」
その言葉に、私はようやくナナバさんの顔を見た。
ナナバさんが、すこし頬を赤くしている。
それでも、笑みはいつもの凛々しい雰囲気だ。
一瞬で訪れた、深い安堵感。
それも息させぬように、ナナバさんは私の手を引いて立ち上がらせ、にっこりと笑うとハンジ分隊長の部屋を出た。
篭った湿気の匂いから解放されたと思ったら、閉めた扉の前でナナバさんが両手をそっと扉につけた。
ナナバさんの体の中に、私がいる状態だ。
「私が好きだということを、私じゃない奴に打ち明けたの?」
上から降ってくる言葉に、全身が熱くなる。
「は、はい、ごめんなさい」
「謝れなんて言ってないよね、悪いと思ってるんだ。」
「う・・・はい」
「君は悪い子だね。」
そっと、私の唇にナナバさんの親指が触れた。
厚めの唇に、ナナバさんの女性らしい白い指。
それだけでも、とてもいやらしく感じてしまって、私の心臓はまた煩く鼓動しはじめた。
「私の前じゃなくても良い子でいるように躾なければ。」
影を宿した笑みを向けるナナバさんが、とても、綺麗に見えた。





2013.08.25


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