17



当然、法律的に悪いのは私だ。
高校生を連れ込んで、暴行されて、監禁まがいのことをされて、数日間。
私はもう、あの図書館では働けないだろう。
そして、もうこれ以上異常な体験をすることもないだろうと思った。
そんなことずっと前から分かっていたので、何もせずただ点滴の袋を眺めていた。
骨が折れてるとか、筋肉が傷ついたとかはなかったけれど、内臓がこれ以上ないくらい荒れているらしい。
胃は壊滅的だそうだ。
背中の筋が、痛んでしまって寝ているしかない。
流動食も駄目だと言われ、仕方なく点滴のみで栄養を取っている。
どうにも、暇なものだ。
色々と然るべき処置はしたようなので、黙って寝ていればいい。
それでも脳裏に、ふと浮かぶのがライナーとベルトルトくんの、最後に見た必死な顔だった。
友達にも、彼氏にも、誰にも連絡していない。
病室のベッドに横たわり、点滴を眺める日々。
その点滴が、どんどん油に見えて、あの日肉を焼いて待っていてくれたライナーを思い出して、感傷に浸る。
ただ状況だけを突きつけられ、溶けるような脳みそで考えた。
それでも、私はライナーに一目惚れをしていた。
けれど、そんな感情はもう通用しない。
起き上がれるようになった頃、看護師さんに頼んで不動産物件の雑誌を買ってきてもらった。
あの嫌なことをされた家から一刻も早く去りたくて、色々見ていた。
唯一、ベルトルトくんが見舞いに来てくれたけれど、その時の申し訳なさそうな顔。
情けないくらい焦っていた。
私が笑って見舞いの果物を受け取ると、ようやく緊張の糸を解いてくれた。
ベルトルトくんからは、何も聞き出さなかった。
彼も、何も言わず、私のことは心配してくれた。
点滴の袋が取り替えられるたびに、私の体内は回復していく。
それでも、脳にこびりついたものがいつまでも取れない。
きっと、こんなものなのだろう。
荒い息遣い、お姉さんと縋る声、抱きしめられる大きな腕。
悪意のない行為、それが私にとっての理解不能だった。
これ以上、ライナーにとって不幸なことがあるのだろうか。
私は不動産物件の雑誌をめくりながら、家をひたすらに探していた。
ベルトルトくんとは、結局今でもメールのやり取りをしている。
学校でこんなことがあった、とか、可愛らしいメール。
それだけでも、私の心は落ち着いていった。
ベルトルトくんは、一体どうやってライナーを説得したのだろう?
それが気になっていたけれど、聞いてはいない。
荒れたものを元通りにする最善の方法は、何もしないことなのだ。


新居に引越すために、今まで住んでいた家を空にした。
あとは小物を取れば引越し完了。
そこまできて、私は古びた本棚に目をやった。
中の本は大体片付けられているが、いくつか本が残っている。
ヘルマフロディテの体温、そして、未來のイヴ。
この本が、誘惑のきっかけだった。
すこし迷ってから、二冊を鞄の中に入れた。
鞄の中で鎮座する二冊を節目に、貧血のような感覚がしたけれど、無視した。
引きずられるような感覚を振り払い、ふと脳内を過ぎるセックスの感覚を打ち消した。
ぶわ、と思い出される。
それを無視する精神力は、いつまで続くだろうか。
荷物をまとめ、あとは引越し屋に任せるところまで纏めたところで、部屋を出た。
部屋を出るとすぐに鼻につく埃の匂いからも、さよならだ。
階段を降りて、外に向かって歩き出す。
適当にコンビ二にでも寄ろう、そう思って歩き出すと、後ろから聞き覚えのある声がした。
「お姉さん。」
その声に度肝を抜かれ、つい足を止める。
走り出したかったけれど、どうして、という思いが先に動いた。
振り向くと、ライナーと、その後ろにベルトルトくんがいた。
険しい顔をしたベルトルトくんを見るに、ライナーが無理を言ってここに来たのだろう。
「なにかな」
平静を装った私の顔を見て、ライナーが安堵していた。
しばらくの間、会話はなかった。
ただ、私がライナーを見つめ返す間、何も言わずにただ、私を見ていた。
寂しそうに、ライナーが呟く。
「お姉さんは、優しくて、笑ってくれて、明るくて、俺を知らないから何でも笑ってくれる。俺の、俺の理想だった。」
流れるような言葉に、頭が冷たくなる。
目の前のライナーは至って正常だ。
何を言っているか分からないというのは、もしかして私が理解できていないだけなのだろうか。
いや、それなら、ベルトルトくんが既に止めているはずなので、きっと私はおかしくない。
「お姉さんと、一緒にいたら、俺が救われる気がした。」
あっけない懺悔の言葉に、純粋な気持ちでライナーを見つめ返す。
「俺は、お姉さんが大好きだよ。」
きっと、ライナーは本心しか言っていない。
全て、何もかも、本心だったのだろう。
それなら余計、軽蔑する。
「私も、貴方が大好きよ」
私の心から出た本音。
それに付け加えるように、私は嘘をついた。
「でも、貴方とは恋人になれない。私がもっと強かったら、救えたかもしれないわ」
ライナーの顔が、朝日に照らされたように影がない。
この嘘が、ライナーにどう響くか、とても興味がある。
相手は最初から、理想を求める壊れた人だった。
理想を求めて堕落したのではない、最初から、堕落とは違う落下をしていた。
読めない本のようなライナーは、落ちる人で。
落ちているライナーに手を差し伸べた私をライナーは縋りつくことと理想を同一視したけれど、私は理想になれなかった。
酷なことをした、そう思った。
壊れた相手に差し出すものを持ち合わせていない平凡な自分に、腹が立つ。
そっとライナーを抱きしめ、唇に軽いキスをした。
あなたは悪くない、そう言葉にして伝えたかったけれど、言葉にしたところで届かないだろう。
深い深い、沼の底。
その底に、きっとこの男の子は埋まって足掻いているのだ。
抱きしめたけれど、私の細い腕じゃ、この男の子を抱き締め切れない。
お姉さん、と呼ぶ声。
なまえさん、と呼ぶ声。
何も間違っていなかった、そう気づいたのは今この瞬間だった。







end

2013.08.16

[ 112/351 ]

[*prev] [next#]



BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
×
- ナノ -